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合気道に関するよくある質問Q&Aを掲載しています。
もともと大東流柔術といっていたものに、なぜ「合気」という言葉が後の時代になって加えられたのかはなぞなのです。また惣角先生が、若い時代から「合気の術」が使えたのか、大正時代になってから使えるようになったのかは説の分かれるところです。修錬の継続の中で、変質したと考えます。
大東流の中でも、合気イコール呼吸投げとして稽古しているところもあれば、合気の術と呼吸投げをまったく別のものとして位置付けているところもあります。派によって、方法論も定義も微妙に異なると言ってよいでしょう。後者が本来のものであると考えます。
惣角先生の教え方は、技術論も精神論も介在させないもので、単に「相手を殺せるか」ということに徹したものであったようです。戊辰戦争を経験した時代背景からして自然なことで、現代的感覚で評価できません。植芝先生のように精神的境地の表現ではありませんが、旦那芸的な所作は行っています。大東流で「合気」という場合、狭義では「合気揚げ」のような基本動作を意味する場合から、広義では「霊的力」を意味する場合もあります。
合気という言葉自体は、古代中国の医学書にある言葉です。相対的力が働きあってそれが、生命を生む程の意味です。それが日本の武道の中に入り、おもに剣術の中で使われました。相対的な力が当たりあう中にも均衡状態があり、そこに生きる空間があります。惣角先生が修得された会津伝一刀流では、「斬り結ぶ太刀」と説明されています。ご興味があれば、笹森順造先生の津軽伝の「一刀流極意」をお読みください。注)会津伝と津軽伝は、技の構成・様式が異なります。津軽伝は惣角先生の経験されたものとは、異なります。
植芝先生の一時期(晩年の)だけを切り取って、それを模倣する稽古するのは、武術的技法としての合気を求めない合気道です。稽古に何を求めるかによって人それぞれで、稽古の良し悪しの価値判断は出来ません。私としては「剛の身体・剛の技から、柔の身体・柔の技」まで研究することに、楽しさがあると考えます。
こういう事は既存の大きな団体に所属していると、ご自分なりの工夫をしないと稽古できません。なぜなら大団体は、一時期の技・稽古方法を絶対化し、一指導者を「天才だ、神様だ」と崇める傾向が見受けられます。そこに根拠をおいた審査や段位の格付けがあります。
これからはネットワークを造り、情報を交換し合いながら学ぶこと、本当に「合気」を使える人に出会って、技を何回も掛けてもらって体感することが大切です。
出典はありませんが、宗教的世界観として比較した場合、理論上「氣の世界」があると推測できると考えます。「神の世界」と置き換えていいかもしれません。「氣体」とは、分御霊に対応します。
大東流でいう「合気の力」を、植芝先生は「呼吸力」と称している面があります。写真等の映像資料では、当時の植芝先生の手の使い方は、大東流の訓練法とまったく同じものです。当初は同じものであったのでしょう。
しかし、惣角先生はそれを実践で会得し、植芝先生は地道な稽古と宗教で会得されました。その差が後に方向性を変えたのでしょう。
植芝先生は「剛の身体・剛の技」でしたが、そこから殺ぎ落とせるだけ殺ぎ落として、「柔の身体・柔の技」にしていかれました。
これは個人的意見ですが、イメージされていたもの、感覚的なものは、やや違うものでしょう。やはり太平洋戦争に対する反省や宗教的世界観が入ってくると考えます。
そうではありません。植芝先生は、正しく合気を会得されていました。
植芝先生のことを安易に批判する人があります。大東流を適当にかじった人に良くあります。しかし本当に大東流を稽古した人は、植芝先生のすごさを知っているものなのです。私は誇りを持って、学んでおります。「合気とは、△○□である」、すばらいしいと思います。ここまで削ぎ落とすことは、容易ではありません。片や第二世代以降の受け取り方・運営の仕方に、反省点があるかもしれません。
仰せのとおり「剣術的な技の掛かり」・「体術的な武術的な崩しの術」として、具体的なものであると考えます。剣柔一体の体系が、伝えられています。植芝先生は武を通して篤い宗教心の表現として合気・呼吸という言葉をお使いになりました。この点、曖昧性が残り今日の混乱を招いています。合気道を学ぶ方は、 「呼吸力」の養成を、稽古の中心に据えてください。 そして少し自信がついたら、自己形成・社会形成に実践してください。
ご指摘のように心の面から見ると、植芝先生の合気と、惣角先生の合気は接点のないものと思います。
仏師の教えに「木の中の 仏迎える ノミの技」とあります。植芝先生の合気は、「自らの中に神を迎える」という技だと理解しています。
それにたいしての惣角先生の合気は、「殺しの術」で、精神を介在させないものです。しかし呼吸力も、大東流の合気も、身体の運用法として一般化した場合、相当に共通点があると考えます。日本伝来の武道は、総べて足腰丹田と剣の刀法・身法・心法です。当会では養氣錬丹の身体使いを中心として、武術と生活のつながりを唱導しています。
精神的に見た場合、惣角先生を離れた後の植芝先生は、精神的に二度と交わることはありません。
しかし、技術論的に見た場合、後期合気道は、大東流を殺ぎ落とし発展させたものと考えます。この辺は学ぶ方の現代性を排除する事は出来ませんし、学ぶ方の捉え方によるかと思います。もし後期合気道は、接点感覚や崩しの技法が武術的合気技法とまったく関係ないというのであれば、私は興味ありません。
唐辛子は唐の国から渡来しました。唐手(からて)は唐の国から渡来した手技です。これは今日、空手(からて)と表記されます。
これに対して合気道は、純然と日本の風土から生まれたものです。
相違点)
1、身体使い 砂地や固い土地の生活に合った身体使いが、空手。湿地の生活に合った身体使いが、合気道。合気道の歩き方の基本は、能や茶道と同じものです。
2、突き蹴りを主体として、直接的攻撃が多いのが空手。関節技や崩し技を主体として、間接的補助的攻撃が多いのが合気道。
3、短期間に稽古が形になり安いのが空手。合気道は時間がかかります。
同一点)
1、礼儀・克己心・鍛錬・怪我のリスクなど、どちらも同じ。
柔道も合気道も日本伝来の古武術に起源があります。柔道創始者の加納治五郎先生(1860年生まれ)も合気の武田惣角先生(1859年生まれ)も生年が同じで、時代背景も共通です。
相違点)
1、分野 加納治五郎先生は体術のみを研究された。武田惣角先生は剣術を得意として、剣術家として身を立てる意思を堅持していたが、明治以降やむなく柔術家へ変更しました。
2、普及方法 加納治五郎先生は、試合競技を重視した当時独特の稽古方法で他団体を圧倒しつつ、東京大学卒のエリートとして学校教育への普及、スポーツとして海外への紹介に成功しました。武田惣角先生は社会の片隅で細々と講習形式で、普及の旅をしました。秘技として、積極的に公開することもありませんでした。後者のメリットとして、日本伝来の刀法・身法一致の武の教えが伝わりました。しかし今日の合気道界には、試合競技・格闘競技・演武競技をする団体が増えつつあります。大東流団体にも剣の教えが欠落していたり、無理に会津一刀流剣術以外のものを持ってきたりします。どこも「剣の理合で」と唱えながら、本当に剣の技の理・身体使いを稽古しているかは、疑わしい面があります。本来の剣柔一体の教えが消えつつあるのは、悲しむべきことと考えます。楽心館は、剣に根拠をおく「養氣錬丹の身体使い」と「崩しの術」を、唱導しています。
護身術の範囲をどのように考えるか?合気道をどのように稽古しているか?によって、異なります。まず後者ですが、さまざまな合気道団体が存在し、さまざまな稽古法・活動が行われています。この質問コーナでの回答ですから、当会の稽古法における合気道の有効性についての回答です。
護身術の範囲をどのように考えるか?
1、子供のけんか、いじめレベルの事
合気道は、打ってくる相手・掴み掛かってくる相手に対しての型稽古で、目付・姿勢・足腰胸の使い方・間合などを養成します。子供クラスでは、打ってくる相手への対処よりも、しっかり拘束された状態から攻守逆転して相手を抑える動作が稽古が重要です。主な動作・身体使いは三種類ありまして、入り身・転換・体の変更と申します。これは単に動作・技術なのですが、心のあり方でもあります。1、困難に向かって行く積極果敢な心は、入り身。2、朝令暮改はいけませんが、価値観や方針を改めるに憚らない柔軟さは君子豹変であり、転換。3、混乱は長引かせずに納めるべき所へ納める、終わるべき時には収束させる事が大切です。為すべきは為す・為らぬことは為らぬ心は、体の変更。動作を越えて心を学ぶ事で 、「身を護る技術」から「身を護る知恵」へ止揚する事が出来ます。これが古来「武は心なり」とか、「礼に始まりれ礼に終わる」と言われる所以です。お子様の武道の稽古は、こうして心技体調和のとれた稽古であるべきだと考えます。「けんかに負けない子供にしたいので稽古をさせたい」と、お子様をお連れになる保護者様があります。そのような場合、他のキックボクシングやフルコンタクト空手をお薦めしています。
2、不審者によるいたずら・犯罪行為レベルの事
第一に犯罪者に狙われない自分自身であるかどうかが、問われます。周囲に尊敬され大切にされる自分であるかどうか。何事も目的意識を明確にするだけでなく、達成して始めて価値が生じます。世の中、努力したけど結果が出ませんでした、そんな甘いものではないという認識が、大切です。犯罪者は、背筋を立て目的に颯爽と行動する人を避ける、犯罪者心理が働きます。これが広義の護身術です。神に護られる術を護神術、心で護る術を護心術と申します。普通は護心術のレベルで十分です。
3、犯罪者が何を使用するか、相手が刃物を使うか、使わないかの区別。
ここからは相手の直接行動に対しての対処、狭義の護身術です。警察官が、犯罪者との格闘で障害を負う統計結果があります。剣道訓練者と柔道訓練者と、どちらの負傷率が高いのか?この答えは、しばらく考察を進めてからにしましょう。
A.剣道訓練者と柔道訓練者の武術的長所短所を、考えます。
剣道訓練者は、遠い間合から(以後、遠間)から接近して間合の内側に入って(以後、内間)技を掛ける。あるいはその逆で、内間に入らせて技を掛ける。そうした訓練に長けています。その点、柔道訓練者は接着した状態で相手の動静を察知しながらの攻防、特に投げ技や寝技に長けています。剣道訓練者も柔道訓練者も、それぞれに中心や捌き・間合が大切ですが、意味が違います。この差は相手が突き蹴りで攻めてきたり、刃物を持った時、如実に現れると考えます。接着した状態から引き付けて技を掛ける習慣のある柔道訓練者は、どうしても負傷を受け易くなります。
B.合気道の長所を、考えます。
合気とは、剣術の技の掛かる理合を説明した言葉です。合気道の訓練によって得られる護身術的長所とは何か、考えます。刀法と身法を一致させる事を、剣体一致といいます。これによって中心の空かない身体操法の習慣化が得られます。先手を取る訓練に先々の先・先・後の先と、三つの訓練をします。こうして先手を取って勝つ事・護る事の習慣化が得られます。技は柔術・体術から呼吸技と呼ばれる崩しの技法まであります。寝技がないのは欠点です。このように合気道は、剣術的な間合と先の取り方、柔術的な接着した技の両面の訓練ができます。これは合気道の護身術としての、大きな長所と言えます。
合気道開祖植芝盛平は「合気道は試合をしてはならない」と指導しました。白光出版の「武産合気」 「みなそれぞれに処を得さしめて生かし一元の営みの分身分業として働けるようにするのが、合気道の目標。絶えずこの祈りによって争いさせんようにする。だから合気道は試合を厳禁している。」(128ページ参照) 理由をわかりやく現代風に表現すると、試合をするようになるとその結果だけが評価され、結果に至る大切な過程が軽視されるようになるからです。たとえば柔道が試合いっぺんやりのスポーツ競技で国際化した結果、勝ちさえすれば良いためサンボやレスリングの動きが入り、日本古来の身体使いや技は失われてしまいます。
試合稽古は武道の稽古方法の一つに過ぎないのであって、これが他の稽古法より真剣だとか位が高いという比較は出来ません。同じことが合気道にもいえます。試合をすると、大切な合気技法すなわち剣の理合いによる身体使いと崩しの術が、失われてしまうのです。(現在、試合を主な活動とする合気道団体が存在するが、私の会の活動とは無縁です)
大切なことは目的意識を持って真剣に稽古することにつきます。その真剣さが好きで人々が集うのが私の主宰する楽心館です。
合気道各団体において「合氣」の定義が異なり、稽古方法・審査方法も異なります。昇段に、高額の講習費用や昇段費用を請求する会もあります。ご注意下さい。
以下に四団体の審査方法を例示します。
合気会
稽古日数が満たした段階で随時審査を受ける。 5級から遡る方式です。審査技等も含めて下記URLをご覧ください。
http://www.aikikai.or.jp/jpn/shinsayoko.htm
養神館
10級から4級までは毎月一回審査が行われ、 3級以上は年4回(3・6・10・12月下旬)に開催される審査会にて 受験する形式です。
また、毎年度毎に審査技を改訂している模様ですが、詳細は不明です。
また必要稽古日数等の規定が見あたらないので、こちらも不明です。
養神館の稽古技について
http://www.yoshinkan.jp/annai/sinsa_annai.html
心身統一合気道会
稽古日数が満たした段階で随時審査を受ける。5級からスタートし有段者になるシステムは合気会に同じ。
氣と丹田の合気道会 楽心館
9級から1級に遡り、有段者になる形式。
一般会員の審査のための審査会という行事は存在しない。稽古の中で一人一人の稽古の状況にあわせて、随時行う。
当会は少人数個別指導の会活動だから、審査会は必要ない。
子供クラスの審査会は存在し、年に二回行う。
試合を行わない合気道では、各自の技量の向上と世間一般への普及を目的として演武会が開催されることがあります。演武とは予め決めた技を順番に演ずることで、同じ技であっても演ずる者など個性が現れます。現在の合気道界のように大勢の演武者が一堂に会して行うようになったのは戦後、植芝吉祥丸2代目道主(盛平の息子)からです。吉祥丸2代目道主が合気道の普及に乗り出し、昭和31年9月、合気道の一般公開演武会を初めて日本橋の高島屋デパートの屋上で行うことになりました。これを知った盛平先生は非常に反発しました。
(1)それまでの演武とは盛平先生が演武することであって、あるいは他の武道会でも、神社に奉納したり、皇族方に披露するのが演武の目的でした。したがって戦前の武道界では、未熟な者が人前でその技を披露することなど考えられなかったのです。
(2)盛平先生は古くからの考え方に従い、技盗みされる事を嫌いました。岩間の齋藤守弘先生に「分からないように、わざと早く(技を)行った」と語ったと、談話が伝わっています。
結局は植芝吉祥丸2代目道主に押し切られるかたちで演武会が開催され、現在では各合気道会派が定期的に演武会を開催している場合が多いのです。
演武会は稽古活動の楽しみ方の一つではありますが、弊害が多くあります。本来は精神性や技の理合を表現するものであったものが、見る人への誇張で、本来の動きが変質してしまうことです。合気道は本来、和室の中で稽古されてきたもので、相手をその場に崩したり潰してしまう技法が本質的なもでした。しかし組織の普及の必要性から稽古の中に演武的動きが取り込まれることが多くなりました。広い会場の演武で、大きく円運動をしたり受けに大きく飛んだり跳ねることを要求するようになっています。合気道の場合も、盛平先生の普段の稽古では「若い者はしっかり力を入れろ」と語って、じっくり錬る稽古をしていました。演武は別で、早めの動きで精神的境地の表現として行ったと考えられます。したがいまして演武が上手である事と、本来の身体使いや技の掛かりができる事は別次元の事です。この二つを両輪として学ぶ事が、現代にあった楽しみ方だと思います。
今日普及している合気道書で検討してみます。「合気道」:植芝守央著・発行成美堂出版にある植芝守央3代目道主(盛平の孫)は戦後普及した演武様式の合気道を唱導されたものといえます。植芝守央3代目道主の技の写真は植芝盛平先生の戦前戦後の技(例:武産合気道:斉藤守弘著・発行合氣ニュース社)の写真と違うものになっているのです。この理由はなぜか、お考えになってみてください。当会はもちろん、演武的な技を普段の稽古で行うことはありません。
合気道楽心館では、一般会員が参加する演武会を過去に一度も主催したことはなく、個人教授クラス・一般クラスの稽古で演武的な動きの稽古は行うことはありません。例外として1、子供の審査会で、主宰者や子供クラス卒業生が模範演武を行うこと。2、傘下の大正大学同好会の学生が演武会を主催することや他団体の演武会へ参加することを、許可しています。この二つの行事に、合気道楽心館の一般会員が、演武で参加することはありません。
武道に限らず日本の稽古事は、全て生き死にを対象とした世界です。たとえば書道の師範は普通に「たとえ短い線であっても、命がけで書け」と言います。茶道の師範であれば「一期一会、喫茶去で茶を点てろ」(命がけで)と言います。将棋の世界であれば必ず、「真剣勝負」という言葉を使います。
合気道楽心館は、合気と武道を学ぶことにおいて「生き死に」の課題を前提として学ぶことを、ホームページの第2ページ目「合気道を学ぶ目的」にて明確に表明しています。日本人である我々が日本の武道を学ぶことにおいて、「生き死に」の禅的思想をもって臨むことは、普通のことです。日本の芸道や合気道楽心館で「生き死に」の観念を入れて稽古することは、命や健康を軽視したものではなく、「今、生きている躍動感・感動をもって臨む」姿勢を、唱導することが基本です。当会の場合は武道ですから、それに加えて、危難に際して生き抜く強い精神と護身の法を修錬することが加えられます。多少の痛い経験やリスクは、避けられません。
36歳で亡くなった正岡子規はこのことを次のように平明におっしゃっています。「自分は初め、悟りとは平氣で死ぬことだと思った。しかしそうではない。平氣で生きることだ」と。それではいったい、合気道をどのように学べば、このような境地に至るのでしょう。真剣勝負という観念が入れること、これが大事なのです。この観念が入っていると人間の根元的なものに触れるのです。自分の命がそこでなくなってしまうから、生死の問題に直結するのです。だから合気の中には「生きる」という人生の根本理念が入っています。よく合気道の稽古の中で「剣の理合いをもって〜」と説明されるのは、単に理合い・間合い・体捌き・打ち方が剣のものであるということを超えて、生死の問題に直結する真剣さのことを意味します。ここでは真剣さの観念を入れて稽古しましょうと唱えているのであって、江戸時代の武芸者のような過酷でシリアスな鍛錬を、無条件の強要するということではありません。もちろん、これは普通の武道の稽古の危険度を、否定するものではありません。
合氣相談室on Twitter from aiki.jp道場 Twitter経由の稽古に関するご質問事項には、生真面目な一刀斎とボケた一楽斎の掛け合いの極めて低レベルなギャグで、ご迷惑をお掛けしております。
東京合気道シニア稽古日誌 62才で稽古スタート。楽しんでいます。
合気道ブログ:よせてはかえす 30才代主婦。合気道のゆるゆる稽古雑記など。
動画youtube 楽心館長石川智広の映像。