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一般 男子の部



一般 男子の部



楽心館 松田 直樹

 
 私が楽心館を選び、そして続けている理由

私は大学時代の部活で合気道を始め、卒業した後も大学の合気道部、社会人合気道部やカルチャーセンターで定期的に稽古を続けてきました。息子が生まれるときに それまで通っていた都内のカルチャーセンターには通うのが難しくなったため、地元で合気道の道場を探していたときに見つけたのが楽心館の本部道場でした。合気会で16年間 稽古をし、その後 楽心館で稽古を始めて6年目になります。
合気会の合気道を長く稽古を続けてきた私がその後 楽心館と出会い、そしてここで稽古を続けていこうと考えている理由について書きたいと思います。

それは主に3つあります。

 1.身につけたい技術が確実に存在する
 2.先生や先輩方が同じ技術を練習している
 3.技術が体系化されており、それを身につける事ができる稽古内容になっている

まず1つ目ですが、それはこの楽心館には技をかけるための技術が確かに存在するということです。私が以前 行っていた稽古は色々な体の動かし方をすることを通じて身体意識を高めて、その中で技をかけられるようになろうとするものでした。前後左右に大きく重心を動かしてみたり、ときには相手に飛び乗って体重をかけてみたり、合気道の型から外れた動きも多数体験しました。
これはこれで確かに体の動かし方について新たな気づきもあり楽しいものではありました。一方でここまでくると合気道の型にこだわらなくてもいいのではないかというものもありました。私が今 楽心館で行っている稽古は、合気道の技をかけるための技術を学んでいます。これは本来、型を行う上で背景にあったはずの技術なのだと思います。そしてその技術は、稽古で先生や先輩方からかけてもらう中で確実にその存在を実感し、またどうしても自分も習得したいものになっています。

そして2つめですが、それは楽心館では先生も先輩方も皆 同じ技術の練習をしているので、私自身も1つの目標に向けて稽古を継続できることです。もしも、先生によって技術に対する考え方が異なったり先輩によって信じるものが異なっていると、稽古で教えてもらう相手によって内容が変わってきてしまうため、継続した稽古が難しいものになってしまいます。そういったブレが、この楽心館にはありません。

最後の3つ目ですが、これは昇級・昇段の課題が合気の技術を身につけるための確実な一歩となっており、楽心館には上で述べた身につけたいと思える技術を確実に身につける方法があるということです。昇級・昇段の基準が曖昧だと、次に進めたときに達成感はあるのですがその先で身につけたいものを見失ってしまいます。楽心館では、一つの事を身につけると次の段階での課題が待っていて、またその内容がとても好奇心とか何故そのような技がかかるのだろうといった知的欲求をかきたてられます。どこまでいってもその先が存在し、一生かけて身につけていきたいと考えています。

ここまで、楽心館のいいところばかりを書いてきましたが、その逆もあります。それは次の3つです。

 1.運動量が少なくストレス発散にはならない
 2.ネットワークが小さい
 3.道場、稽古枠が少ない

稽古の中で、飛んだり跳ねたり激しく動いたりすることが皆無なので運動不足になり、ストレス発散にはなりません。むしろ、自分の技がかからない理由や改善点を考え出すとモヤモヤしたものが溜まってきて、逆にストレスに感じたりもします。
また、練習生が多くないのでそこから発生するネットワークも限定的です。
そして、稽古をできる機会が少ないのも特徴です。振替制度はあるのですが、地域・曜日・時間帯においてその選択肢は多くありません。

ただ、ここに書きましたデメリットというのは、最初に書きました楽心館の魅力というものと表裏一体になっています。規模が大きくなると指導者が増えて稽古内容にバラツキが出てきてしまうからです。ネットワークが大きく 稽古枠も多く しかし技術に魅力がないというのでは、以前私が行っていた稽古と変わりがありません。

私がここで稽古を続ける理由をまとめますと、「技術と稽古内容が魅力的である」という一言に尽きると思います。




楽心館 松田 直樹 様② その後 「離見の見」


以前、2015年10月にこちらに文章を書かせていただき、あれから7年が経ちました。
現在2022年9月の私が持っている合気道の考え方・思いについて書かせていただきます。

現在、息子と⼀緒に親子で稽古に参加しています。千葉市の本部道場で土曜日の朝と日曜日の朝の週2回の稽古をしています。
息子は土曜か日曜のどちらか都合のいい方に参加しています。


合気道は趣味か

以前、こちらに文章を書いたときには、趣味として稽古に参加していました。
しかし、あるときを境にそれは趣味ではなくなりました。
ある日の稽古中の休憩時間、先生が私に尋ねました。「松田さん、趣味はあるの?」この問いの答えの選択肢に合気道が含まれていないことを、先生の質問の仕方から察しました。
先生は、私が真剣に合気道に取り組んでいると考えられていて、それを当たり前の前提として問われているのだと思ったからです。その時は、とっさに「アニメ鑑賞です」と答えたのですが、今にして思えば、もっとカッコいい答えを言えばよかったと思っています。
それからは、合気道は趣味ではない、と思うようになりました。

⼀方で、私にとって合気道とはどういう存在なのだろうかと考えるようにもなりました。
稽古中に先生に教えていただいたことを元にして、日常生活においても、食事、姿勢、歩き方や職場での人との接し方などあらゆる場面において、立ち振る舞いについて気をつけています。
そう言う意味で、生活でのテーマ、生活を通して探究する対象、⼀言で言いますとライフワークになっているのかと思います。


親子合気道

先ほども書きましたが、中学1年の息子と⼀緒に週1回稽古に参加しています(塾などで休みがちではありますが)。
稽古を通じて普段とは違う息子の姿を見ることができています。
新しいことを習得する際には、誰でもその人なりの癖があるかと思います。息子も私と同じ癖があり、先に頭で考えてしまい“とりあえず体を動かしてみる”というのが苦手です。
学校の勉強でしたら、先に頭を動かすということで問題ないかと思いますが、運動分野においてはまずは動いてみるというのも大事な場合が多々あるかと思います。ですので、稽古中に息子が手順を考えすぎてわからなくなったときには、「まぁ、とりあえず、やってみよう」と稽古を進めます。
これが私にとってはなかなか新鮮でそういうのを楽しんでいます。きっと、この経験は息子の将来に役に立つのだと強く思っています。
また、先日息子が昇級しました。
これから⼆教をテーマに技を稽古します。
早速、稽古後に質問が出ました。
繋がるって何?抜くってどう言うこと?…。そうなんです。ここでの稽古では繋がって抜くと言うことを大切にしています。
昔、私が参加していた稽古では無い概念でした。
息子にはこれからの稽古を通して、繋がるという感覚を実感してもらえるように練習していきたいと思います。


かかる技、意味のある稽古

この道場で稽古している技は、⼀生懸命に相手が押さえ込んだり打ち込んだりしてきたのに対して、合気道の型としてきちんとかかる技を稽古しています。受けの人が技をかける人に、変に気づかって弱く握ったり、不自然に動きに合わせてついていったりという忖度がここには存在しません。受身の際に⾶ぶこともありません。また、技をかける人も技がかからないからと型を崩したり、大きく動いたりすることもありません。姿勢・中心軸を大切にした“かかる技”の稽古を⾏います。
これらを⼀言で言うと、映えるような技の稽古は⾏なってないということだと思います。見せる技ではなく、かかる技を稽古しています。だから逆の言い方をすればとても地味な稽古です。
その地味な稽古の中で、本物の技術を自分の意識・感覚の中に培っていくというような稽古をしています。
これは大変、意味のある稽古だと思います。
長年、継続していても出来ていることと出来ていないことが非常に明確であり、時にはその出来ていない事が明確すぎて嫌になることもあるくらいです。そのため、常に目標を持って稽古を継続することができます。また、級・段位についても、基準となる技・技術ができているかどうかで決まりますので、長く続けたから上がっていくということが全くありません。
出来るか出来ないかで決まりますので非常に明確でわかりやすいと思います。
そして、その技術を順序立てて身につけるプロセスが稽古の中にあると言うのが、この道場の大きな特徴かと思います。


コミュニティへの参加

話は変わり、私は来月で48歳になります。
普段は会社員をしており、職場では4人の部下に囲まれて仕事をしています。
いわゆる中間管理職です。
日々とても忙しくて部下や関係部署の方から様々な相談を受けています。
仕事が終わると、家族との時間を過ごし、土日には合気道の稽古をすると言う毎日を送っています。
そう言う意味で私の参加するコミュニティは家庭・職場・道場の3つなのだと考えています。
年齢を重ねるにつれて、職場でも指導することを求められ、頼られることも多くなってきました。
そういう中で参加する道場と言う存在は私の中でとても大きいものです。
先生から技術・考え方を教わり、お互いに切磋琢磨する仲間と練習して技の理解を深めて、自分で再現できるようになっていく、そう言う環境を今の年齢で持てているのが私はとても幸せです。
たぶん、ジムに通ったり、ひとりで走るといった中ではなかなか経験できないものなのではないかと思っています。


中心軸

稽古中に先生からよく、中心軸が定まっていない、グラグラしていると指摘を受けます。その際に、私生活でも中心軸がグラついているのではないか、と注意されます。
はい、そうです。思い当たります。
コロナ禍で多くの情報に振り回されている日常を考えると、確かに私の中心軸は確固たるものにはなっていません。
合気道を通じて身体的にも精神的にも中心軸の確立を図っていきたいと考えています。


今の私のテーマ「離見の見」

剣術の稽古でうまくいかない時に、先生は「離見の見」が大事だと説明されました。
翌週も同じ言葉を使って説明をされており、自身を離れた視点で見ることで、今の自分ができない理由を客観的に理解できるようになると説明してくださいます。
先生は「離見の見」は能楽の世阿弥の言葉だとお話しされていました。
私はもう少し理解を深めたいと思い、世阿弥の“⾵姿花伝“を読んでみました。
この本には能楽を学ぶ上での心得や習得の過程と注意事項が書かれており、これは合気道の稽古への取り組み方に活きるだけでなく、日頃の新たな知識・スキル習得においても役立ち、大変勉強になる内容でした。
これまでも、稽古に参加することで先生が説明してくださる言葉やオススメの書籍などを読んだりと、多くのことを学ぶ機会がありました。そして、この文章のタイトルとなっている「離見の見」ですが、今の私自身のテーマです。
この言葉は私の普段の生活や仕事においても気をつけるべきことだと認識しています。
私は予定外・想定外のことが苦手で、また依頼が集中したとき等にも混乱してしまうことが多いのですが、そういう時にこそこの言葉を思い出して、少し離れたところに視点を動かして、心を落ち着けて深呼吸でもして取り組めば、何の問題もなく対処できることが多いのではないかと考えています。
以上の様に、私は楽心館での合気道の稽古を通じて、日頃の心がけも学んでいるように思います。今の私について、少し離れたところから振り返って文章を書かせていただきました。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。



楽心館 T 様


※ 以前の稽古で交流のある先生がおります。
  今は辞めても休眠という扱いになり仲間に変わりがないという考えがあるのです。
  そちらでは、どうも他流の武道や格闘技を習うのを嫌う体質があるので、匿名でTとさせていただきます。
  念のために。

私は、昨年46歳で楽心館に入門、現在週に1回稽古に参加させていただいております。

10代の頃から武道や格闘技が好きで、これまでも打撃と関節技を備えた拳法や格闘技を趣味にして来ましたので、ある程度の護身の技術と心構えは身に付いたつもりでいました。
一方、武道・武術と格闘技には、実質的な違いはあまりないという認識も持っていましたし、達人と称する方々の存在に興味は持っておりましたが、正直あまり信用しては居ませんでした。

ただ、永い間に色んな方の指導を受けるなかで、ごく稀にではありますが、今まで経験したものとは異質な、不思議とも思える体験をすることがあり、この技は一体何なのかと思うようになっていました。

スポーツと同様に年齢や体力・体格に頼り相手も経験者の場合には通用しない格闘技には限界も感じていましたし、少しずつ、古くからの武術の身体の使い方には興味を持ち始め、ある時期は、武術専門誌の告知を頼りに、体験講座にも随分参加しました。

次第に、日本武道の真髄は合気ではないかという思いが強くなり、これは定期的に継続して指導を受けるしかないと決心、無理なく通えるエリアで道場を探していたところ、こちらの楽心館を見つけ見学を申し出た次第です。


いざ、実際に稽古を始めてみると、見学時の予想を裏切り、石川先生の技は強烈な上、抵抗の余地が無いことに驚き、また、どんな技なのか全く解らない事に戸惑いました。

これまでは、一度掛けられればどんな技かその場で判断できたのですが、これが全く解らない。
先生の指導も姿勢や意識へ対するものが多く、技も手首を強く捻る訳でも、関節を逆に攻める訳でもないので、自分が行うには、大変に難しいものでした。たまに、偶然上手くいくことがあっても、何が良かったのか解らないため、反復する事が出来ないという情けない有様です。これまで自分の常識だった、「形を学んで理を理解し、反復して技としていく」という過程が通用しない、技が出来ないままその日の稽古が終わるのが通常という、初めての経験をすることになりました。

手応えが無い稽古に戸惑いを感じたまま数ヶ月が経ち、余程自分に素質が無いのかと悩みましたが、先輩方に話を聞いても、どうもこれは習得に長い時間を要する様です。
恐らく武術の技術にもレベルがあり、私がこれまで全てだと思っていたものより、高度な技術は存在するという事だと思います。

何としてもモノにするという執念を持って、とにかく続けていればいつかは、理を感じ取れる合気道向きの頭と身体になれると信じて、焦らず続けてみようと最近腹を括ったところです。


石川先生これからも御指導の程お願いいたします。







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