(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

「天地人合一」とは何か?合気道と日常に通じる身体感覚とエネルギーの流れ

「天地人合一」・・

稽古で、「気剣体一致」と共に、呪文のように刷り込んできた文句。
フツーの熟年オヤジには当初、「起立、礼、着席」のようにしか聞こえていなかった言葉です。

その後、
武道に限らず、身体運用の基本となる「体軸を通す意識」・・なわけね、とわかりましたが、それ以上深く考えたことはありません。

それが今なぜか、「天地人合一」が気になるんですよね。
それも、道場の中だけでなく、フツーに生きていくうえで。
なぜなんでしょう。

思想哲学の難しい側面はさておき、
合気道をやる際や日頃の身体感覚として、どうでしょう。

私が勝手に思い描く「天地人合一」のイメージは、
単に、背骨や体幹などの構造体としての中心軸や姿勢にとどまらず、
それらのさらに「芯」であるような、(チクワの穴)のような、
あるいは、エネルギーの流路となる(透明なパイプ)を想像してみます。

パイプを流れるエネルギーは、重力であったり、
雷のような電気的なエネルギーだったり、さらにいえば、
いわゆる(気を通す)の「気」であったり、つまりは巨大な自然エネルギー群です。

つまり、自分のチカラではありません。
自然エネルギーは、そのままでは取り扱いも難しく、
かえって体に負荷をかけ、腰や間接を壊す恐れがあります。
制御するのが大変です。

稽古で「天の気、地のチカラ」というイメージで教わるように、
落下エネルギーを胸や膝のゆるみなどで丹田に取り込み、
地面からの反作用を含めて、爪先から足腰、体幹から指先へ、
さらに、接点を通して相手へと流し、崩す・・・

相手とのつながりの術理「合気」は、
相手に反応させずにエネルギーを通し、相手の軸を崩すための接合術というわけです。
・・な~んて、ぼんやりとイメージしています。
(背伸びして考えてみても、こんくらいかな・・)

ちなみに、NHKで、
柔道の「内股」の達人を解析した番組を見ました。

相手の重心直下へ飛び込み、相手の身体を浮かせ跳ね上げる際、
4~500キログラム・・という体重の数倍もの荷重を上方に生じさせているとのこと。
「天の気・地のチカラ」に改めて驚かされます。

しかも、
当の達人たちは、「ほとんど力を必要としない」と口を揃えます。

それも、「天の気、地の力」と身体を正確に制御できればのこと。
手足や体幹の筋力は、あくまでパイプの補完役、
電線でいえば、絶縁体(シールド)みたいな役割だというわけです。
むしろ、筋力頼みは、術理を阻害するだけなのでしょう。

まあ、
あくまで勝手な連想であり、稽古を重ねてそれぞれが身体感覚で確かめるほかありません。

もっとも、
合気道は、相手に反応させずに加わるチカラを重視しますから、
エネルギー自体の放出量よりは、柔らかさや、動きの精度といった
「量より質」が肝心かもしれません。

それにしても、
普段の私たちは、筋力頼みの意識がなかなか抜けず、
天地人合一のパイプが目詰まりがちな案配です。

もとよりそれは、身体のことだけに限らず、
脳の中の「小人くん」にもあてはまりますから、
思考や感覚のうえでも、同様に流路の整備不良になっているのだと感じます。

人生ではむしろ、このことがもったいなくてなりません。

日頃の立ち歩きから、普段の思考、コミュニケーションに至るまで、
「天地人合一」を心掛けねば。

なにせ、それだけでも、熟年オヤジが合気道をやっている意義がある、と思う次第。

「天地人合一」、
とりあえず、軸ぶれないよう体やエネルギーを使う、
という意味に解釈していますが、
もっともっと深い意味がありそうですね。

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