人間の言動というのは、おそろしく時代に左右されるもの。
「自然に動いている」つもりの人は、
しばしばある種の文化的な身体型にはめこまれていることを意識していないだけ。
合気道の稽古の目的の一つは、
そんな因習的身体運用を意識化・主題化することだと勝手に解釈しています。
そして、人間にとって生物学的に自然な身体運用というものがあるとすれば、
それはどのような動きであるのかを考究することです。
ですから、合気道の稽古は筋肉の力や動作のスピードを求めません。
因習的・奇習的な身体運用をいくら量的に加速・増量しても、
それは自転車に大排気量のエンジンを積み込むようなものです。
体を痛めつけることにしかゆきつきません。
必要なのは、自転車ではない別の原理で動く乗り物に乗り換えること、
身体運用のスキームそのものを書き換えることです。
料理の名人いわく・・
さかなを焼く時は…さかなというやつは、面白いものだ。
じっと目を放さずに見つめていると、
なかなか焼けない。それなのに、ちょっとよそ見をすると、急いで焦げたがる。