(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

合気道で学んだ人間関係と身体運用の共通点|中高年の気づき

2013-11-24

入門してまもなく4年。よれよれの熟年オヤジに、ようやく初段の門が見えてきました。

根気も根性も人並み以下の私が続いてるのは、ひとえに、師をはじめ、先輩諸氏の包容力のおかげに他なりません。そして、稽古が私にもたらしてくれたものがなければ頓挫していたでしょう。

そう、それはまるで予想してなかった「賜物」でした。

稽古がもたらしてくれた“賜物”

「力まないチカラ」「加速しない迅さ」「等速直線運動」

「落下の力とゆるみ」「相手とのつながりと接点」「軸を立てて」「相手の軸を崩す」

これらは、稽古で口酸っぱくいわれてきた楽心館合気道の術理の基本です。

いつの頃からか、それら身体運用の術理の相互作用が、日常生活の様々な場面とだぶるようになったのです。奇妙なことでした。

合気道の術理と人間関係の共通点

どういうことかというと、どなたでも日頃の人間関係を振り返れば、

  • 伝えたいんだけど、なんでわかってくれないのか
  • 声高で押しつけがましい意見など聞きたくもない
  • あいつとは性格があわない

夫婦、家族、友人、職場などで、様々なすれ違いを経験しているはずです。

稽古を通して、すれ違いや誤解、苦い記憶の一つ一つが徐々に腑に落ちるようになりました。

「力に対して力で応戦」していませんか?

思えば、原因の多くは「力に対して力で応戦」でした。

伝えようと熱が入るほど相手が引いてしまったり、正しいと思って言ったことが、自分の一人相撲にすぎなかったり。

稽古で指摘される「もっと力を抜いて」「方向が違う」「加速しない」「軸を立てて」「つながりを感じて」などのポイントと重なります。

自分の言動は案外自分がわかっていない。姿勢や動きのクセが師や仲間に指摘されて初めて気づくように。

楽心館合気道と人生とのつながり

私にとって楽心館合気道の術理は、人間関係をめぐる術理とコインの裏表だったのです。

落語、歌、小説、芝居や映画でも、表現者はそれぞれの合気道を工夫している。それが今ならよくわかります。

一教〜六教、小手返し、四方投げ、天地投げ、剣の節理……すべて通底しています。

上手い人の技にかかったときの圧倒と気持ちよさ。「心を打つ」「胸に響く」「感動する」……これも合気ですよね。

酒やペットとの関係にも通じる

人間関係だけではありません。酒を飲むときもそう。

グイグイ押しちゃいかん。ぶつからずに、酒とのつながりを感じて、加速せず……ほど酔いに等速直線で。

おかげで酒との関係は良好に。肝臓の数値も回復しつつあります(笑)。

ペット、パソコン、スマホ、自動車……すべてに合気道の感覚が応用できそうです。

思い込みや勘違いの「一人相撲」だけは避けたいですね。

稽古は「クセ落とし」そして再プログラミング

稽古は、自分に染み込んだ身体運用や思考のクセを落とすこと。そして、新たなプログラムへの書き換えです。

中高年にとって、日常生活もまた稽古場の延長。

手ごわい古女房らを相手にどう技を繰り出そうかと、日々研鑽に励む所存です。

初段とは「門の前に立った段階」

「日暮れてなお道遠し」

初段とは、ようやく門の前に立った段階だと思います。

昔、自動車免許を取って初めて公道に出たときを思い出します。

人生に残された時間は限られていますが、道場でも日常でも「精度の次元を本物にする」ことを念頭に置いて、これからも精進したいと思います。

いつになったら、合格するのやら?

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