(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

等速直線運動が教える武道と心の在り方

日々のお経は「等速直線運動」

先生の剣の打ち込みを、横から見ていると……

な~んだ。ごく、ゆっくり振っておられる。

だが、自分が前から受けると……なぜか、よけられない。

出どころはどこか……身を瞠っているのだが、気づいた時は、もうよけられない点まで剣がきている。

「一挙動、等速直線運動だから」と先生。

プロ野球と等速直線運動の妙

プロ野球、先のポストシーズンで、中日の47歳投手・山本昌の投球術に、飲み屋のおじさん連中が盛り上がった。

最高速度130キロ前後と高校野球選手以下の緩い球であるが、これが打てない。

球種とコース、球の出どころの組み合わせなのだが、ことごとく相手に読ませない。

160キロの剛速球でも打ち返すプロたちが、バタバタと凡打の山を築く。

信号が読めない130キロは160キロの剛速球に勝る。絶対速度はさほど関係ない。勝負は相対速度で決まる。

0.01秒でも信号を読むのが遅ければ、時速160キロの球と変わらない。それがコースをついてくるのだから、そうそう打てないわけだ。

「絶対スピード信仰」が揺らぐのが、おじさんたちには面白い。

等速直線運動と稽古の現実

稽古で、「等速直線運動、等速直線運動、一挙動一挙動……」と心の中で経を読むように唱えるが、ああ、またしても「加速曲線運動、一、二」になってしまった。

頭でわかってるつもりでも、体がオートマチックに加速する。力むことで軌道は曲ってしまう。

同様に、手解きで、手を掴まれた接点で、なかなか力が抜けない。筋肉が張ってしまう。表層筋に無意識に力が入る。信号が相手に伝わり、抵抗を呼ぶ。

……ああ、また接点がぶつかった。

反射は表層筋に頼ってきた前半生の澱であろう。自分の内に、絶対スピード信仰とともに、表層筋肉信仰がある。

だから、稽古の大半が、従来からの筋肉反射の「書き換え」に費やされる。身体に覚えさせるほかない。ここが初級者のハードルです。

力まない、加速しない——難しさの本質

力を入れるより、抜く方がはるかに難しい。加速するより等速が難しい。世の身体運用の常識と真反対であるからね。

「速くても一、二は一、二。ゆっくりでも一挙動」と先生。

日常にも応用される等速直線運動

先生から「酒を飲むのも等速直線運動で」と言われた。冗談かと思ったが、心掛けてみた。

確かに、気持ち穏やかならぬ時の酒は、呑み方までクイクイ加速する。会話までとげとげしくなりがちだ。

酒は静かに、いや、等速直線で飲むべかりけり……か。

妻に文句を言われ、思わず、ムッとする。かっとなる。これまた感情の反射で力みが入る。

妻の文句にもまた、脱力脱力感謝感謝……合気道は、愛気道だったか。

等速直線運動は祈りのように

等速直線運動、等速直線運動……南無阿弥陀仏と聴こえてくるのは、気のせいか。

#格闘技

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