22 オジサンは、技を掛けられるのが嬉しいんです
稽古へ行く楽しみの一つが、(投げられること)というと、なんのこっちゃと呆れられそうだが。事実だからしかたない。
技の掛け方を学びにいくんじゃないか、という指摘はごもっとも。
しかし、技を掛けるには、掛けられることに精通する必要があるんだな…と言えば美しいが、ただ、技を掛けられる、投げられるのが、快感なのです。
これは何だろう。私の中のマゾが目覚めたんだろうか。
もちろん、上手い人にきれいに掛けられた方が嬉しい。先生に掛けられると、すかっとする。畳にぐしゃっとなりながら、笑ってしまう自分がいるんですよね。
畳ぐしゃ…がたまらないんです。それだって先生は随分手加減してるわけで、もっと若かったら、もっと思い切り投げ飛ばしてくれるんだろうな。残念。
♪ どうせ私をだますなら だまし続けてほしかった
というセリフは一面真実なのよ、という女性が多い。
どうせ掛けるんなら上手くかけてよね、ということか。
上手い落語を聞くと、ああ、すかっと投げられたなあ、という感じになる。いい音楽で出会うと、きれいに技を掛けられた気になる。
昔は、(いやいや、こりゃ一本取られたなあ)と破顔一笑するような大人の会話があった気がする。
会話でも、うまく掛けられるとすかっとするんだよね。かつて田中角栄が演説すると、なんだかんだ批判してる人でもどこかすっきりしてしまう話術的快感があった。
浪花節が好きだったそうで、庶民心に技を掛けるツボを心得ていたのに違いない。最近の政治家は言葉の技が余りに稚拙になったと思うこの頃。
霞が関話術ではもう国民には掛からないぜ。ただ痛いだけだよな…。
掛け上手は掛けられ上手、というのも事実だろう。こんど技を掛けるときは、快感を感じてもらえるよう心がけます、はい。
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