落下運動・・って、GPSだったの!
当コラム、少々お休みを頂戴しました。仕事でキーを叩く日々が続き、少々パソコンとにらめっこする気になれませんでした。
なわけで、休み明け1戦です。
実のところ、楽心館合気道を始めて以来、スポーツはむろんのこと、落語を聞いても映画を見ても小説を読んでも、人と会話していても……
そこに合気道に通じる術理を感じて、従来の10倍も楽しめるようになったのですから、その楽しみを他の人と分かち合いたいのはやまやま。
でも……ともすれば、一人合点、独りよがりな自慢話をしてるんじゃないか、とふと思うこともあるんですよね。
合気道愛に燃える方々にとっては本筋の話じゃないからきっと物足りないことでしょう。
そう、私の本筋は道場外。合気道の術理と実生活の様々な場面が結びつく……その一点。
それも、高度な技というよりは、(体の軸を立てる)、(一挙動と等速直線運動)、(脱力)、(垂直落下)、(入り身、転換)、(つながりと接点)、(緩み)……といった、基礎的なこと。
これが私には一つ一つとても深く感じられるのです。合気道で私の生活感覚は大きく書き換えられつつあります。
例えば……「つながらないと掛からない」
稽古で指摘される先生のその言葉で、目ウロコになり、(そうだよね、対人関係の会話の上でも「つながらないと伝わらない」んだ!)と、会話の術理に合気道を見てしまう……といった具合。
(つながること)の術理だけでも、音楽であれ、絵画、映画演劇であれ、小説であれ、それぞれ1章が立ってしまうほど。
優れた表現に受け手の心が震えたり、心に響くのは、表現者の(つながる技)がきちんとできてるからなんですね。
また、「初動を消す」ということだけで、野球でもサッカーでも、あらゆるスポーツの場面で語ることができるでしょう。
武道的な視点でスポーツを観るのは、3Dで見てるような感じがします。
もっと言えば、稽古の導入部で、何気なくやっている一文字腰への(垂直落下)や、股関節を緩める(落ちる落ちる予備運動)など、正確に体を沈める身体感覚も、普段は意識しない重力に意識的になりますよね。
これはまさに、(自分のGPSだ!)と思ったものです。自分の位置感覚が端的に感じられるのは、落下の感覚なんですね。
大仰な言い方をすれば、宇宙のGPSを感じられる瞬間なんです!
そう、合気道って科学であると同時に、(身体哲学)でもあるんだ……とつくづく。
地図をたくさん持っていても、自分の位置がわからないのでは迷路にいるのと同じこと。
自分の位置を感じるセンサーは、体感に敏感である時起動するんだと思います。
地図を(価値観)と置き換えることも可能でしょう。
自分の地図を持ち、自分の位置がはっきりわかるって、生きる基本ですよね。
こんな単純なことがいかに現代人の身体感覚から抜け落ちているか、頭脳偏重社会の脆さを思わずにはいられません。