(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

合気道と推理小説に共通する“腑に落ちる”瞬間とは?【初心者の壁を超えるヒント】」

6 合気道と推理小説

楽心館合気道2年目の冬。

うまく掛かったり、掛からなかったり・・

(わかった!)と思った次の瞬間、また糸口が消えている・・

「二教」のカベの前で、また、立ちつくしているこの頃。

「ほら、押してる」
「ほら、力が入りすぎる」
「手はほわっと」
「ほら、スピードでやってる」
「ほら、脇が空いてる」
「ほら、肩が下がってる」
「まだ、つながってない」
「力じゃなく、気を通して」

(気を通すっていったって・・)

先輩に指摘されるほど、「禅問答」状態で、思考停止▽※×・・

真犯人が見つかったと思ったら、また、見えなくなってしまう。

よくできた推理小説では、まま、あるケースだけど。

先輩に伺う。

「先輩は、2教、どのへんで、身についたんですか?」

「うむ・・数年、何百回か、何千回かやってるうち、ひょんなことで、かな」

(う~む、数年か・・)

子供の頃、

補助輪なしに自転車に乗れるようになった時みたいだな。

乗れてしまえば、もう、忘れることがないもんな。

癪だが、やみつきになる。

化学なんかで、

(量の質的転換)ということをいう。

A物質+B物質=AB。

ところが、

この操作を積み重ねていくと、

ある時点で

ABでなく、

A+BがCに変質する瞬間があるそうだ!

どうやら、

人の学びもそうらしい。

理屈で理解しようとしても、「その瞬間」はやってこない。

ひたすら、積み重ねていくと、

必ず、どこかの時点で、質的に飛躍する時点が(結果的に)やってくる。

「門前の小僧習わぬ経を読む」ってことか・・

理解できないことでも、重ねていくうちに、小僧はどこかの時点で、

(お経の言ってる意味はこれだったんだ!)

と腑に落ちる時を迎える。

それが、いわゆる「ブレークスルー」ってことかもしれないな。

目標が見えていて、理解できて、手法も手引きしてもらって・・

そんな学習はたいしたことはないのかもしれない。

教育がサービス業なんていわれる昨今、

「先生、それをウチの子が学ぶと、就職するときどんなメリットがあるんですか?」

的な親が多いという。

子どもまで

(それ習って、どんな得があるの?)なんて、平気で口にするようになる。

その子は残念ながら永遠にブレークスルーすることはないんだろう。

積み重ねていって、

ある日突然、腑に落ちる瞬間を迎える。

合気道はそんな推理小説のような面白みがある。

(来年のどこかで、あまいかな・・、

二教のそんな瞬間を迎えたいもの)

と、熱燗で一杯。

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