「接点を忘れて・・」はストレス退治の特効薬!?
現代生活のなかで私たちの身体感覚がいかにチグハグになっているか…
合気道を学び始めて身をもって痛感しました。
入門間もない頃はとにかく「ありゃりゃ…??」の連続。
実のところ、まっすぐ立つことさえおぼつかない有様なんですね。
僕の場合、まっすぐ立ったつもりの状態とは…「少し右側に傾斜している」状態でした!
「あなたは、まっすぐ安定して立てますか?」と質問したら、100人中100人が「当たり前だ」と答えるだろうが、実際にはしっかりとまっすぐ立てる人は一握りであろう、ということです。
だから、技を正しくかけるなんて、はるか遠かったわけです。
手を相手にまっすぐ伸ばすだけの動作さえ、微妙に上へそれたり、横にそれたり…わが身なのにままならない。
「そんな馬鹿なことが…」とキツネにつままれる感じの連続でした。
合気道の身体づかいを学ぶことは、身体感覚の回復という点だけみても大きな意義をもっていることがよくわかります。
これがさらに、ストレス退治の特効薬になったら…嬉しいですよね。
それが、大いにありありそうなんです。
「接点を忘れる」という発想
ヒントはたくさんあります。
たとえば、基本の基本である「手解き」。
相手に掴まれた手を「上へ」「外へ」「前へ」解く動作で、技に入る入り口です。
ところが実際やってみると、相手もしっかり掴んでいるから、容易には解けない。
ついこちらもグイッと「力任せ」になり汗が噴出してくる…
先輩から「掴まれた接点を忘れて…」「接点をそのまま置いておいて…」と繰り返し言われるのだけど…
(掴まれている箇所を無視するなんてできっこない)と当初は呆然としたもんです。
言われても余計意識してしまい、一層解けない。まるで禅問答です。
後からわかったことですが、実のところ、
(掴まれた接点を意識する → 接点部の筋肉に反射的に力を入れてしまう → 相手が反射的に余計力を入れて掴む → 解けない)だったんですね。
要は、接点部の筋肉がピクッと反射しないようにスーッと動かさねばいけない。
(そのためには自分の体軸を立てて身体全体を使う → 脇を閉めて、肩を落さず、緩む…と術理は省きます)
つまり、接点に固着してしまいがちな意識を、
「それは意識からいったん外して置いて、全身系統の動作に移る」と自分なりに納得したしだい。
これを繰り返していて、スッと解けたときは…数学の難問が解けたような気分でした。
ストレスへの応用:「接点を忘れる」
この、「接点を忘れて」だけでも、ストレス退治に大いに役立つように思います。
年齢に関係なく、ストレスの元は氾濫しています。
ニュースを見るだけでも、まあ、毎日ひどいことばかり。
放射能、嫌な事件、無責任な政治家や官僚、企業家…
こうした不信、不安、怒りが全部ストレスになって襲いかかる。
誰もが、逃れがたいストレスの渦に巻き込まれてしまう。
(ヒドイ!)が頭の隅々にこびりつき、意識に固着するんですね。
無視しようと思っても、余計、こびりついて離れない。
これ、手の「接点」と同じなんですね。
そんな時、先輩の「接点を忘れろ」の言葉ががふと甦ります。
(そうか。襲いかかる力にまともに拮抗すると相手はさらに力を加えるんだ…
頭に固着する「接点」にこだわると、ストレスでやられてしまうぞ)
と、時々、「接点を忘れる」ことを意識するようになりました。
体験的に、これが案外、効くんです。
先生は、(合気道は護身術でもあり、護心術)と書いてらっしゃいますが、このことか…と腑に落ちたしだい。
人間関係にも効く「呪文B」
というわけで、「接点を忘れて…」は、自分に言い聞かせる人間関係の呪文Bになったしだい。