「脱力」の不思議!?
合気道を始めて一番不思議な感覚は・・
<力を入れるほど技がかからず、力を抜くほどかかる(相手に作用する)・・・>
という厳然たる事実です。
この感覚は普通に暮らしてる中では私の体験的にもありません。
だから、始めは、キツネにつままれたように感じます。
「ウッソだろう!」
「物理の法則に反するじゃねえか」
「わざと掛かったふりしてるんじゃないの?」
・・普通の常識ではそうです。
先生や先輩と「合気上げ」や「二教」を稽古してると、
誰もがそのことをフイに体感するはずです。
上手い人ほど「フンワ~リ」です。
「二教の手の掴みは、タマゴを握るように・・」なんてね・・。
この秘密を習得するだけでも僕には「ダビンチコード」読むような
面白さを感じます。
いつかは、「楽心館合気道コード」を謎解きしてやろうと
密かに思うのは私だけじゃないでしょう。
(詳しい術理はここではさておき)
スポーツに見る「フンワリ」な力
フンワリで思い出したのですが、
先日、野球のホームランバッターで知られた阪神タイガースの
田淵元選手の話を聞いていて、同じ言葉を耳にしました。
田淵さんは合気道をやったわけじゃありません。
「僕とか、王さんとか、ホームランバッターはたいてい、
仲間と腕相撲すると、概して弱い。腕力はないんです。
ホームランになるときは、フンワ~リ打って軽々と飛んでいくんです。
力を入れて飛ばそうとすると、逆にだめなんだな・・」
確かに、ビデオで見る田淵選手のスイングは柔らかくて
打球の軌道は45度にあがり、美しい放物線を描くんですよね。
そういえば、
ゴルフの女子プロのスイング、あれも、スローモーションのような
スイングで飛ばすんですよね・・
合気道の術理と合理性
僕は他流派の合気道をよく知りませんから一概に比べられませんが、
楽心館合気道で教わる術理(剣術の術理と併行して教わる)には、
先達たちが幾世代もかけて練り磨いた
「身体運用のとんでもなく合理的な蓄積」が
秘められている、と最近ますます感じるようになりました。
(ヨイショではありませんよ)
言葉の合気道と「脱力」
言葉の合気道でも同じですね。
いつぞや、
妻が誤ってわたしがプリントアウトしていた仕事の原稿を
ゴミだと思って捨ててしまった。
僕は反射的に「なぜお前はいつもそそっかしいんだ!」と怒鳴っていました。
趣旨からいえば、相手の過ちを二度と繰り返してほしくないから怒鳴るのだが。
結果はまったくの逆効果。
かえって、
「いつもそう怒鳴るから、素直に誤れないのよ」
と妻を逆ギレさせ、
その日の夕食はどこかへ吹き飛んでしまいました。
怒ったり、恫喝したり、説教したり・・力を入れるほど真意は相手に伝わらない。
相手とつながる接点があってこその合気道。
(フンワ~リ、掛ける以前で接点を崩してしまったわけです)
怒鳴ってしまった自分を反省するほかありません。
「褒めてやらねば人は動かじ」
『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、
@@@@@@@人は動かじ』
山本五十六(連合艦隊司令長官)
数万の将兵を率いる大将が良く使った、上杉鷹山公の名言です。
@@@@@@@は、何でしょう?
答えは・・「褒めてやらねば」です。
褒めることは「接点」をつくる
そうなんですよね。
言葉の合気道で「褒める」は大きなポイントだと思います。
合気道の稽古では、打ちにくる、掴んだ・・ところに接点が生じ
技がはじまる。
相手に打つ気も掴む気もなければ技ははじまらないんです。
言葉も相手が耳を傾けてくれてナンボです。
「この人の話はいつもお説教だから聞く気がしない」
「いつも私を叱ってばかり、否定されるから、いやなのよね」
・ ・とハナから警戒されては、言葉の合気道もはじまりません。
褒めることは耳を傾けさせる近道です。
「ツカミ」としての褒め言葉
お笑いの世界では、この「聞く気にさせる」ことを、「ツカミ」といいます。
本題に入る準備としてコマセを撒いて注意を引きつけるのです。
落語でも「マクラ」と称し、本題に入る前に、何気なく世間話をしますよね。
そこには二つ意味があって、
- その日の客の空気を察知し、
(レベルの高そうな奴が多いな)
(少し砕けた方がいい客層だな・・)と、客の空気と自分を同調させる機能 - 当日の古典落語の演目のテーマに頭が入りやすいように、
現代のニュースや話題から導入する機能
つまり、接点をしっかりとつくるわけです。
(落語はお客も金を払って笑いにきているので、比較的すんなりと技が始まると思いますが、噺家さんによって接点のできはずいぶん違います。
ベテランになれば、当日のネタは客の空気を測ってその場で決めます)
家庭内の合気道:「褒める」は最強の技
さておき・・
へそを曲げてしまって亭主の言葉に警戒感をもっている妻との間に
接点をつくるのは容易じゃありませんよね。
(何か言えばどうせ私の非を責める言葉なんでしょう)
これでは、言葉の合気道も無力です。
何が接点になり、ツカミになるでしょう。
最近ようやくわかってきたのが、
先ほどの「褒めてやらねば」なんです。
この、「褒める」ことの機能は絶大です。
子供だって犬だって褒めることが基本ですよね。
(妻を犬と同じにするわけじゃありませんが)・・
人間関係で接点を作るには、
褒めるのが一番です(お世辞じゃだめです。きちんと褒めるんです)。
相手を肯定し、尊敬し、信頼することが
何よりの「ツカミ」なんです。
心が開き、耳を貸してくれれば、そこではじめて技の掛けようもあると
いうわけです。
そんなわけで、還暦にして最近ようやく
カミさんにはできるだけ、褒めるようにしています。
(その反応たるや、テキメンです)
まとめ:「褒める、掛ける、脱力」
「褒める、掛ける、脱力・・」
これが私の人間関係の呪文Aパターンです。
つづく
#格闘技
止められないんだよね、これが。 (石川です)
2011-12-30 23:46:15
怒ったり、恫喝したり、説教したり・・力を入れるほど真意は相手に伝わらない。
相手とつながる接点があってこその合気道。・・・・・
素晴らしい!免許皆伝です。
でも、分かっちゃいるけど、止められないんですよね。
反射的に「なぜお前はいつもそそっかしいんだ!」と
内の女房は、機先を制して、窓を閉めて「言いたい事あんなら!言いなさいよ!」と、
そんな感じです。