(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

「文明の離見|武道家が語る、次世代への提言」 ― 「離見の見」で未来から今を見直す ―







離位ブログ|武道家として社会を観る「離見の見」の視座


離位ブログ開始のご挨拶|武道家として「離見の見」で社会を観る

はじめに:「離見の見」という視座

私たちは日々、社会や世界を語ります。しかし、その語り口は、果たしてどこから見たものでしょうか?立場、感情、今この瞬間に偏った視点では、物事の本質は見えてきません。

そこで鍵となるのが、「離見の見(りけんのけん)」という考え方です。これは、能楽の大家・世阿弥が著書『風姿花伝』で説いた視点であり、「自分を外から冷静に見つめる知性」を意味します。

「我が見は、離見なり。離見は、我見にあらず」── 世阿弥『風姿花伝』

つまり、自分の内からの主観的な見方(我見)ではなく、観客の目で自分自身を見る力。これは単なる芸道論を超え、私たちの「生き方」や「社会のあり方」にも深く関わってきます。

武道と「離見の見」

私は武道家として合氣道を教えています。この「離見の見」は、武道の世界においても極めて重要です。

  • 技の癖を、自分の外から観察すること
  • 相手から自分がどう見えているかを意識すること
  • 技が「効いているか」ではなく、「どのように見えているか」を把握すること

自分の感覚だけではなく、「相手」「周囲」「未来」の視点を取り入れることで、本物の技と在り方が生まれるのです。

ブログの目的:「文明の離見」としての提言

このブログ【文明の離見】は、「離見の見」を武道の枠を超え、社会・教育・国家・文明のあり方にまで広げて思考していく試みです。

文明を俯瞰し、未来の子どもたちに向けて、今何を問い、何を残すべきか。そのために、ここでは3つの提言軸を掲げます。

提言1:時代を俯瞰する者であれ

私たちは知らぬ間に、「時代の価値観」や「文明の流れ」に乗せられて生きています。だからこそ、自分が今どの文脈に属しているのか、そしてどんな未来への連続の中にいるのかを、自ら問い直す必要があります。

  • 我々は“消費社会の延長線”で、何を失ってきたのか?
  • 精神や文化を「守る」とは、何を守ることなのか?
  • AIや経済合理性に支配される未来に、「人間らしさ」はどう残るのか?

提言2:“観客”は未来の子どもたち

世阿弥が語った観客とは、ただの目の前の人々ではなく「未来の目」でもありました。私のこの言葉も、誰かに評価されるためのものではありません。まだ生まれていない次世代の人々に向けたものです。

  • 今を肯定するのではなく、「未来から今を検証する視点」を持つ
  • 一時的な流行ではなく、「100年後にも通用する倫理・文化・美意識」を語る
  • 「あの時代に、この言葉があった」と未来の誰かに思い出してもらえるように

提言3:日本の役割を文明的に捉え直す

国際社会の中で、日本は「経済力」や「軍事力」で主導する国家ではありません。むしろ、日本こそが持つべきものは──倫理・自然観・共同体精神といった、非物質的な文明力です。

  • 「経済成長」ではなく「成熟と再分配」を掲げる国家へ
  • 「競争力」ではなく「調和力・修復力」で国際貢献する国家へ
  • 「多文化共生」ではなく「共苦・共感文化の伝導者」としての日本へ

私自身の役割とは?

令和5年5月5日、私は楽心館の館長職を離れました。その“位を離れる”という出来事に、“離見の見”を重ね、このブログを「離位(りい)」と名付けて新たに始めます。

私は武道家として「身体性と精神性」を育て、事業家として「社会に仕組みを生み出す」こともしています。これからは、自分の生き方そのものが提言となるように、静かに、深く、未来に向けて問いかけを続けてまいります。

終わりに

「離見の見」で文明を眺めることは、今この時代を、未来の目で再構成することでもあります。

時代に流されず、自己に溺れず、未来に届く言葉と姿勢を残せるよう、この「離位ブログ」、始めてまいります。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


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