価値観の不一致による離婚と向き合う
価値観が合わないことによる離婚。最近もそんな報告を耳にし、改めて考えます。
もちろん、暴力や深刻な人間関係の破綻がある場合は仕方のないことですから、離婚を完全に否定するつもりはありません。
ただ、「考えや価値観が合わないから」といった理由は、私は人生に自然と生じる一時的な“ひずみ”に過ぎないのではないか、と思うのです。
木造家屋の扉と“ひずみ”の気づき
話は変わって、私の住む木造家屋のことです。
台所と洗面所の間にある一枚の扉。冬のあいだ、きちんと閉まりませんでした。
妻は、「なによこの家!扉も締まらないじゃない!」と、毎日のように不満を漏らしていました。
それが、6月の今——
扉は枠にぴたりと収まり、まったく問題なく使えています。
妻の不満の声も、すっかり聞かれなくなりました。
自然現象と季節の摂理
さて、いったい何が起きたのでしょうか。
私が扉を削った? いえ、何もしていません。これは自然現象です。
家全体が木造でできているため、湿気を吸って膨らんだのです。
冬の乾燥から、梅雨の湿気へ。木が呼吸をし、家が応えたのでしょう。
不便への対処と見守る姿勢
ここで問われるのは、冬のあいだの不便をどう捉えるかです。
我慢できずに工事をするのか?
それとも、「これは自然が解決してくれる一時的なひずみにすぎない」と受け止めて、見守るのか?
古人はいみじくもこう言いました。
春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり。
私はこの扉の不具合を、冬の一風景として静かに眺めていたいと思いました。
家族とともに歩む人生の四季
私にとって家族とは、生きる栄養であり、安息であり、自己実現であり、社会貢献の場でもあります。
35歳のころ、孤独に耐えかねて、心から「家族が欲しい」と思いました。
ご縁あって妻と出会い、息子を授かり、武道修行と経営を両輪に、春夏秋冬の人生を歩んできました。
もちろん、人生には季節差があります。
そのなかで「ひずみ」が生じることもあるでしょう。
しかしそれを、「価値観が合わない」と早々に結論づけてしまうことには、慎重でありたいと思うのです。
“ズレ”を景色として捉える視点
その“ズレ”を、「景色の変化のひとつ」として受け入れることはできないでしょうか。
私はこの価値観の不具合を、冬の扉のような一景色として、そっと見守っていこうと思います。