楽心館長伝承の辞
第一、楽心館をこれまで私が牽引してきたが、今後は館長・指導者が共に作る“作品”とせよ。その根幹は「剣柔一体の合氣」において、既に示してある。
第二、豊臣秀吉は北条攻めを終えると、金を産出する会津を直領とし、徳川家康は関東下向の後、佐渡を直領とした。いずれも政(まつりごと)の礎に経済を据えた例である。経済力なき道は、存続なき道である。この認識を第一義とせよ。
第三、楽心館は、心技体の研鑽を経営に優先しつつ、しかし両輪として進むべきものとする。どちらかが欠けては、道は続かぬ。
第四、苦を友とし、静けさの中に灯るような喜び――これを“楽心”と呼ぶ。武道・合氣は、その喜びへ至る手段にすぎぬ。その歩みの果てにあるものは、稽古人ひとりひとりの人生の豊かさ、そして国家の利益である。この志を忘るることなく、さらなる道を歩まれんことを祈る。
令和七年五月五日
楽心館長 平 康幸 殿
石川 智広