(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

武田惣角から山本角義へ──合気の本質と大東流の継承記

武田惣角から山本角義へ──合気の本質と大東流の継承記

※本稿は、会津藩流大東流合気柔術・小野派一刀流剣術・無限神刀流居合術 教授代理
長尾全祐一刀斉角全 先生の記録・証言をもとに構成されています。

1. 武田惣角と大東流の成立

武田惣角源正義先生は、会津藩の御式内として伝承された柔術を基に、明治31年、家老・西郷頼母の助言のもと全国武者修行を行い、各地で体得した秘術を加えて「大東流柔術」を体系化しました。
明治・大正・昭和を通じて3万余人の門弟に伝承し、その門下からは合氣道開祖・植芝盛平氏をはじめ、奥山龍峰氏、井上方軒氏など多くの著名武道家が育っています。

2. 山本角義への継承と惣角の最晩年

昭和12年、山本角義(本名 留吉)は板前として勤務中に武田惣角と出会い、入門。昭和16年からは内弟子として、身体が不自由になった惣角の世話をしながら稽古を重ねました。
惣角は、彼を「最後の弟子」とし、「技の覚えも早く、記憶力もよい」と高く評価し、以下を授けました:

  • 大東流合氣の秘術(三分類)

  • 真剣術・木剣術

  • 大東流總主の位

  • 大東流印

  • 差料(刀)

  • 大羽織紐(会津藩主松平容保公からの拝領品)

  • 二字の名「角」「義」

3. 無限神刀流居合術の成立

山本角義は、惣角から授かった真剣術を10年以上にわたって修練し、独自に再構成。それが「無限神刀流居合術」です。
この術理には、会津藩伝の小野派一刀流剣術・直心影流剣術・神道精武流剣術などが背景にあり、単なる演武ではなく、「技がかかるか否か」「打ち込まれたときに崩せるか」を明確に検証する、実戦性に富んだ剣術体系となっています。

4. 長尾全祐の修行と証言

昭和45年、長尾全祐氏は苫小牧市の松緑神道大和山にて山本角義先生に入門。
大東流合氣柔術、無限神刀流居合術、会津伝小野派一刀流剣術、棒術(槍術)を修行し、昭和52年には無限神刀流居合術教授代理、昭和56年には大東流合氣柔術教授代理の免許状を授与されました。

長尾氏の証言では、山本角義から以下の技術を直接授かったと記されています:

  • 2本の指で相手を一撃で倒す合気技

  • 5人を並べて一気に崩す崩し技

  • 指を持たせただけで一瞬で飛ばす技

これらはすべて、「演武ではなく、実際に効く技術」であり、惣角から山本へ、山本から長尾へと受け継がれてきた合気の本質です。

5. 技だけではない「血」と「霊性」の継承

長尾氏は、自らの家系が桓武天皇を祖とする平氏の流れであり、平将門、長尾景虎(上杉謙信)などの血脈を引くこと、明治以降は伊達家に仕え、北海道・伊達村に移住した経緯なども記しています。
また、霊的な夢の体験や御本山での供養を通じて、「武術の継承とは、技や形だけでなく、精神性・血脈・魂の次元にまで及ぶもの」であることを語り、その深みが文章全体ににじみ出ています。

6. 現在の活動

長尾氏は現在、東京・静岡などで門下生に指導を行い、山本角義より直接受け継いだ技法と精神性をもとに、会津伝大東流合気柔術・無限神刀流居合術の普及と継承に取り組んでいます。

7. 武士の家系と精神的土壌

長尾全祐氏の家系には、武士としての誇りと精神性が深く根付いていました。

桓武天皇を始祖とし、平将門、長尾景虎(上杉謙信)を経て戦国時代を生き抜いた家系であるとされ、江戸時代には伊達政宗の重臣・伊達成実に仕える家臣として活躍。
戊辰戦争の後、明治政府の方針により北海道の有珠郡(現・伊達市)に移住し、未開の寒冷地を刀から鍬へと持ち替えて切り拓いた姿は「大地の侍」と称され、映画にも描かれたといいます。

そのような家の中には、かつて名刀とされた「村正」や純金の茶釜などが伝わっていたとされ、長尾家が実戦に根ざした武士の家系であったことを物語っています。
これらの伝承品や歴史的背景は、山本角義先生から伝授された大東流合氣柔術・無限神刀流居合術の教えと共鳴し、「技」を支える「心」の土台として、長尾氏の修行を深く裏付ける要素となっています。

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