(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

ポケモンカードと稽古 親子で学ぶ武道の時間—環境に慣れることと成長の関係

親子で学ぶ武道の時間—環境に慣れることと成長の関係

親子クラスでの学び—「技」よりも大切なこと

道場には、親子で稽古に励む家族がいる。
お兄ちゃんと弟、お父さんの三人で一緒に稽古をし、お母さんは見学席から静かに見守る。家族全員で道場に車一台でやってくるのだ

お兄ちゃんはすでに数年の経験があり、理解も早く、技の習得も順調だ。
しかし、弟はまだ幼く、稽古そのものよりも「道場という場所に慣れること」が先決となる。


お母さんが大好きで、すぐに甘えてしまうのも、彼にとって道場がまだ完全には「自分の居場所」となっていない証拠かもしれない。

武道の稽古は、ただ技を学ぶ場ではない。
子どもが環境に慣れ、少しずつ自立していくプロセスそのものが、稽古の大切な要素でもある。

ポケモンカードと稽古のバランス

ある日、弟はポケモンカードを3枚握りしめたまま道場にやってきた。

「稽古中カードが痛むかもしれない」と思ったが、扱いがラフだったため、大事というより「手に持っていること」が安心感につながっているようだった。

そこで、無理に取り上げず、持たせたまま稽古を続けてみることにした。

序盤はカードを道場の隅に置いたり拾い上げたり、時間は要したが順調に稽古は進んでいた。ところが、稽古の途中でふとしたきっかけでお母さんに甘え始める。

特に理由はなく母親に甘えたくなったのだろう。そして泣き始めてしまう

ポケモンカードをぎゅっと握りしめている。

兄は言った「またメソンになっちゃったよ」

「ポケモンにはメソメソしている『メソン』というポケモンがいるらしい

「それじゃあメソンだよ」と声をかけると、

彼は涙目のまま
「メソンじゃない!ルカリオだよ!」 とムキになって返してくる。

笑いながら、「じゃあ、メソンからルカリオになれるように頑張ろう」と励ましてみたが、どうやら今日はルカリオにはなれないらしい。

それでも、この小さなやり取りが、彼の気持ちを切り替えるきっかけにはなったと願うしかないのだ。

そのポケモンカードを神棚に並べてみたり工夫したがその日はまったくもって稽古ができなかった。

こうした声かけが「指導のテクニック」なのかはわからない。
しかし、稽古をただの「苦しい時間」にしない工夫として、時にはこうした関わりも必要なのかもしれない。

正解なのかはわからないし、異論も認めます。

お母さんの存在と環境に慣れることの難しさ

この子にとって、「稽古に参加すること」よりも「お母さんから離れること」のほうが、道場での最大の課題かもしれない。

お母さんがいなければ、そもそも道場に来ることすらなかったかもしれない。
しかし、お母さんがいることで、つい甘えてしまう。

「慣れるまでの時間」は子どもによって違う。


すぐに環境に適応する子もいれば、じっくり時間をかけて安心できる場だと理解するまでに時間が必要な子もいる。

ただ、その「慣れる時間」が長くなりすぎると、ずっと甘えが続き、かえって本人のためにならないこともある。

このバランスが非常に難しい。

「お母さんがいるから安心する」のと、「お母さんがいるから甘えてしまう」の境目はどこにあるのか。

どうすれば、お母さんの存在に頼らずに、少しずつ自分の力で道場に馴染んでいけるのか。

それを考えながら、私自身も試行錯誤を続けている…

「叱る」「無理やりやらせる」は劇薬

時には「叱る」「無理やりやらせる」という選択をすることもあり、それが成功する場合もあれば、逆効果になることもある。

ただ私は、こうした厳しさを「劇薬」だと考えている。

使い方を間違えれば毒にもなり、適切なタイミングで適量を使えば、成長のきっかけになることもある。

ただ、無理に離れさせることが本当に良いのかは、その子の性格や成長段階によるだろう。

だからこそ、一人ひとりに合わせた対応が求められると考えている。

→結局正解はわからないし文章としてもまとまらない…子供と共に葛藤し続けることは正解ではないかもしれないが間違いでもないと思う。

子ども同士で学び合う場

道場では、子どもたち同士が自然と助け合う場面も多い。
例えば、技がわからない子に対して、年上の子が 「俺が教えてあげる!」 と積極的に声をかけることもある。

もちろん、大人が教えてもうまく伝わらないことを、子どもが教えたからといってすぐに理解できるわけではない。


それでも、教える側の子どもたちは 「どうすれば伝わるのか?」 を必死に考える。この「考えること」そのものが、彼らにとっての大きな学びとなる。

道場は「技を教わる場」でもあるが、それ以上に「人と関わる場」でもある。
だからこそ、ただ技を学ぶだけではなく、「どうすれば相手とコミュニケーションが取れるか」「どうすれば人の話を聞けるか」といった部分も、稽古を通じて育まれていくのかもしれない。

結局、マイナスなことなど何もない

「泣いてしまう」「甘えてしまう」「環境に慣れるのに時間がかかる」
これらは一見、稽古をスムーズに進める上での「問題」とも思える。

でも、こうした過程こそが、子どもたちにとって大切な経験なのではないか。

最初から完璧に稽古ができる子はいない。
どの子も、時間をかけながら少しずつ道場に馴染んでいく。

だからこそ、私たち指導者もまた、「この子にとって今、何が必要なのか?」 を考え続けなければならない。

もちろん、稽古の場にはルールがあり、ある程度の厳しさも必要だ。
しかし、それ以上に大切なのは、「この子にとって、どうすれば稽古が前向きな時間になるのか?」 を探り続けることなのだろう。

親子クラスの稽古は、子どもたちの成長を見守る場であると同時に、私自身にとっても多くの学びを与えてくれる。

子どもたちの成長とともに、私もまた、指導者として成長していきたい。

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