ふざけてしまう少年の入会→退会の1年で学んだこと
指導者として試される瞬間
指導者として、子どもと向き合う時間は「心」と「技」の両方を磨く場だと考えています。そんな場でもふざけがちな一人ひとりの個性や課題にどのように接するかは、指導者にとって試される部分です。今回お話しするのは1年間の稽古を通じて学んだことです。
少年との出会い:道場に放り込まれた小さな背中
少年が初めて道場に来た日を今でも覚えています。母親に抱えられるようにして道場の中に入ってきた彼は、身だしなみもキレイではなくボケっとしている立ち姿「親に連れられてきた」というのが明白でした。稽古が始まれば走り回り、ふざけた動きで「お母さんに始めろって言われたから」と素直に言ってしまう始末でした。
ふざける中に光るもの
彼には少し知的な遅れを感じることもありましたが、会話はできるし、興味を持ったことには集中する力がありました。しかし、それが持続しません。気が散るとすぐに周りの子にちょっかいを出し、ふざけ始めてしまう。しかし、集中してしっかりやる時は、見違えるほど動きが正確になるのです。
不思議と「技の名前」には興味を示し驚くほど早く覚え、お気に入りの「手ほどき」はどれも上手にこなしていました。
「やればできるんだよ」彼にそう言っても、あまり反応はなく、またふざけに戻る――そんな日々の繰り返しでした。
その「やればできる姿」を見ていたからこそ、私は彼を叱り、向き合い続けました。ふざける彼に対し、
「君ならもっとできるはずだ。ふざける時間はもったいない」と伝え続けました。
彼はそのたびにうつむき、何かを飲み込むように私の言葉を受け止めているようでした。
彼は改善することなく一年間毎週5分遅刻し道場にきて身だしなみを直されて、ふざけて叱られてから真面目に稽古をして帰るというルーティンとなっていました。
少年が道場を去る日:最後の「ありがとう」
1年が経つ頃、少年の母親から「今日で最後になります」と告げられました。その日は珍学校の制服で来たため、少し真面目な顔にも見えました。
彼は私の前に立ち、小さなお菓子を差し出しました。
「先生、お世話になりました」
いつものふざけた笑顔をしていました。
「君にとって厳しい時間だったかもしれないけれど、今後の人生の糧にしてね」
彼は「どういう意味~?」と母親に尋ねながらも、私の顔をじっと見つめていました。何か言いたそうな、けれど言葉にならない表情です
指導者として学んだこと:厳しさの意味と向き合い方
彼の1年間の稽古は、私自身にとっても学びの時間でした。厳しく接することで彼の成長を願う一方で、その「厳しさ」が彼にどう届いていたのか、何度も自問しました。
ふざける子、集中できない子に対して、叱ることは簡単です。しかし、指導者として本当に必要なのは「叱ること」だけではなく、 その子の可能性を信じ、待つ姿勢 だと感じました。
また、子どもだけでなく 親との関係も大切 です。彼の母親との会話が少なかったことは、今振り返ると反省すべき点です。彼の家庭での様子や、彼自身の苦手な部分、得意な部分をもっと理解できていれば、指導のアプローチも変えられたかもしれません。
今後の指導への生かし方
彼のように「ふざけがちな子」や「集中力が続かない子」こそ、指導者の在り方が問われます
1. 子どもの「できる瞬間」を見逃さずに褒める
小さな成功体験を積ませることで、子どもは自分の可能性に気づきます。
2. 厳しさと優しさのメリハリをつける
叱るだけでなく、その子の良い部分を認め、伝えることが信頼関係につながります。
3. 親との連携を意識する
稽古後に短い時間でも良いので、「今日の彼の良かったところ」を伝えることで、家庭との連携を深めることができます。
未来を見据えた指導
彼が道場を去った今も、私は彼の姿を思い出します。ふざけてしまうこと、集中が続かないこと――それは彼の弱点ではなく、彼の「個性」だったのかもしれません。
「厳しい時間だったけれど、先生に出会えてよかった」
そう思ってもらえるよう、私はこれからも指導者として成長し続けたいと思います。彼がこの先の人生で、ふと道場での時間を思い出し、「頑張ろう」と思える日が来ることを願いながら――。