(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

泣いてしまう彼の稽古

泣いてしまう彼の稽古

とあるカルチャースクールでの出来事

ある日の稽古。年中の男の子が、いつもとは少し違う表情でやってきました。
この日は、お父さんと一緒に稽古をする日。
彼は合氣道が大好きで、家では私の話もよくしてくれているそうです。
でも、道場ではあまり話しかけてこない。ただ目が合うと、ふわっと笑ってくれる子です。

いつもはお母さんが一緒に来て、側で静かに見守っている。
でもこの日は、お父さんが道着を着て一緒に稽古に参加する形でした。

「今日はきっと大丈夫」と思っていた

これまでも何度か、稽古の途中で涙があふれてしまうことがありました。
特に前方回転受け身のとき。技に挑戦する瞬間、うまくいかない悔しさが重なって、感情があふれてしまうのです。

ただ、そういった出来事は、いつもお母さんと一緒に来ているとき。
私は正直、「甘えたい気持ちがあるのかな」と考えていました。
だからこそ、この日は安心していました。

本人が「お父さんと稽古したい」といつも言っていた

それでも毎回は一緒にできないこと(お兄ちゃんのサッカーもあるから)

そんな事情を聞いていたからこそ、今日は気持ちが乗っていて、きっと大丈夫だろうと思っていたのです。

泣いても、首を縦に振る

稽古は最初、順調でした。
お父さんと並んで動き、一緒に技を受けて、どこか嬉しそうな表情も見せていました。

でも、やはり前方回転受け身に差しかかった瞬間、彼の様子が変わりました。
表情が曇り、身体が止まり、そして――またあの涙があふれてきました。

それはただの泣き顔ではなく、喉を詰まらせるように、深くむせび泣くような泣き方。

うずくまり、肩を震わせ、言葉も届かない。
それでも「帰るのか?」と聞けば、首を横に振り、
「やるのか?」と聞けば、涙を流しながら首を縦に振る。

なんとも言えない気持ちが、私の中に広がっていきました。

好きなのに、苦しくなる

私は彼の中に、「好きだけど苦しい」という感情があるのだろうと感じています。

好きな人に意地悪してしまうように、好きだからこそ、自分の期待が膨らみ、うまくいかないと強い感情が爆発してしまう。

合氣道が好き。もっとやりたい。うまくなりたい。
でも、思い通りに身体が動かない、できない、悔しい。

その気持ちが、彼の小さな胸いっぱいに広がってしまうとき、
涙が、止めようもなく流れ出すのかもしれません。

泣くこともまた、稽古の一部

お父さんは、

「彼にとって、向き合わなきゃいけないことなんです。家でもいろいろ話していて…なので、いつも通りで大丈夫です。」

その言葉に、私は救われた気持ちになりました。もどかしさも感じました

これは“泣かせてしまった”指導ではなく、
泣くというプロセスもまた、彼自身の稽古なのだと気づいたからです。

技ができる、できない。
それ以前に、自分の中に渦巻く感情とどう向き合うか。

それが、子どもにとっては何より難しくて、でも何より大事な「稽古」なのかもしれません。

揺れても、止まっても、それでも来る

私たちは「成長=前に進むこと」だと思いがちです。
でも、実際の成長は、もっと複雑で、もっと揺らいでいるものだと思います。

泣きながらも、首を縦に振るあの瞬間。
帰りたくない、やりたい、でもできない――
そんな複雑な思いを、5歳の彼なりに抱えて、道場に来ている。

それだけで、すでに「稽古」は始まっているのだと、私は思うのです。

稽古は、今も続いている

私はむせび泣きながら抱っこされる彼を見送るしかありませんでした。

でも、何もしてあげられなかったとは思っていません。

あの子にとっての「稽古」は、技だけじゃない。
涙が出るほど、自分と向き合うこと。

できなくても、くやしくても、また向き合おうとすること。

その一つひとつが、彼にとっての武道であり、人生の“道”なのだと思います

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