挑戦者の眼差しと、白い目と、それでも前を向くということ
私はいつも挑戦している。
看護師から武道家へ。
その過程で道場を構え、指導者として、表現者として、新しい場所に身を置き続けている。
人に言えば驚かれるような変化だけれど、私にとっては自然な流れだった。
ただ一つ、共通しているのは——
**「やらずに後悔するくらいなら、やって後悔したい」**という気持ち。
それが、私の生き方の軸にある。
熱しやすくて飽きっぽい。でも、それが“命の方向”だと信じている
私は興味を持ったことには、手を出さずにいられない。
「これ面白そう」と思えばすぐ動く。
熱量が一気に上がり、そして飽きることもある。
人はそれを「軽い」とか「続かない」と言うかもしれない。
けれど私にとっては、その熱が生きている実感そのものだった。
惹かれて、動いて、ぶつかって、考えて、また選び直す。
そんなふうに、自分の生き方を少しずつ形にしてきた。
でも、白い目は、確かにある
時々、ものすごく冷たい目を感じることがある。
話していればわかる。
相手が「なんでそんな道に行ったの?」という目で見ているのが。
自分が特異に見えることもあるだろう。
看護師という安定した仕事を捨て、自営業として道場をやり、他にもいろんなことに手を出している。
そんな生き方を、理解できない人もいる。
けれど、理解されなくていいと思っている自分と、
少しだけ寂しいと感じる自分が、同居しているのも事実だ。
安定には安心がある。挑戦には“納得”がある
会社員の生活を羨ましいと思うことは、実はよくある。
決まった時間に働き、収入があり、守られた社会の構造の中で安心して生きること。
それは間違いなく素晴らしい選択だ。
でも私は、安心より“納得”を選んだ。
たとえ収入が読めなくても、
今日やったこと、学んだこと、関わった人のことを思い返して、
「今日の自分は、生きてたな」と思える日々を積み上げていきたい。
それでも、自分で積み上げた山からの景色を見たい
本当に“学びのある”日々は、痛みも伴う
正直、この生き方はキツい。
未来が読めない中で、自分で責任を持ち、全てを自分で決める。
でも、その分だけ「自分の手応え」で生きている。
そして不思議なことに、
そういう毎日のほうが、よく眠れる。
不安がゼロなわけじゃない。
でも、“自分が選んだ”という実感が、心を静かにしてくれる。
誰かの正解ではなく、「自分の答え」を積み上げたい
私はたぶん、人の評価に左右されやすいところもある。
挑戦していると、必ずと言っていいほど冷たい目で見てくる人がいる。
でも、その目を気にして動きを止めたら、
自分が自分じゃなくなる気がする。
だからこそ、私は挑戦をやめない。
うまくいかなくても、後悔はない。
看護師に戻ればいい。やり直せばいい。
ただ、「自分の足で歩いた」という実感だけは、
どんな結果より価値があると思っている。
あなたは、安心しているか、それとも納得しているか?
挑戦を勧めたいわけじゃない。
でも、自分の毎日に**「納得」があるかどうか**は、とても大事な問いだと思う。
もし、何か引っかかることがあるなら、
“ちょっとだけ道をはずしてみる”くらいでもいい。
私たちは、もっと自由に進路を選んでいい。
それがどんな結果になったとしても、**「納得して眠れる夜」**があることこそ、人生の豊かさなんじゃないかと思う。