(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

Suicaも知らない祖母が、なぜあんなに幸せそうなのか

Suicaも知らない祖母が、なぜあんなに幸せそうなのか

祖母は、Suicaを知らない。
スマホも“通話だけ”、パソコンには一度も触れたことがない。
クレジットカードもネットバンキングも使わないし、メールより手紙が早いと思っている。

生活はテレビと新聞がすべて。
なのに、いや、だからこそかもしれないけど、いつもとても穏やかで、幸せそうだ。

口癖はこうだ。

「今の人は、色々大変そうだねぇ。」

その言葉を聞くたびに、なんだか複雑な気持ちになる。

知らないことは、不自由だと思っていた

私は、いろんなことを知っているほうがいいと思っていた。

人に遅れをとらないように、
便利さを取りこぼさないように、
“知らない”ということに、少し恐れすら感じていた。

だから、祖母のような暮らしは、“もったいない”ように見えていた

知識がないと損をする。
効率よくできないと苦労する。

でも、なぜか祖母のほうが「満たされている」

それでもまったく困らず、笑って、毎日が満ちているように見える。

この姿を見ていると、私は少しだけ羨ましくなる

「知らないことで損をしている」ようには見えない。
むしろ「知りすぎている私のほうが、息苦しい」のではないかとさえ感じる。

情報を持ち、選択肢を持ち、決断を繰り返しながら、
日々の“正解”を探して生きている自分。

その隣で、
「知らなくても平気」という心の在り方を持つ祖母

どちらが幸せなのか、わからなくなってくる。

「今の人は大変そう」——祖母の静かな洞察

祖母の口癖、「今の人は大変そうだねぇ」には、
単なる無知や無関心ではない、何か深い観察があるように思えてきた。

それは、“選び続ける生活”の苦しさを感じ取っているからではないか。
「何を選べばいいか」に迷い続ける毎日、
「知っていなければいけない」「乗り遅れてはいけない」という焦り。

 

それらすべてが、“知っていることの不自由”として祖母には見えているのだ。

武道でも、「知らない」ことが自由になるときがある

私は武道の世界に身を置いている。
稽古を重ねる中で気づいたのは、「知っている」ことが技を鈍らせる瞬間がある、ということ。

「こう動けばいい」「こうすれば決まる」と知ってしまうと、
それが逆に自分の動きを縛ってしまう。

本当に自然な技は、**“知らないからこそ出てくる”**こともある。

技の正解を知りすぎた者が、迷うこともある。
だからこそ、知らない状態での“素の感覚”は、武道の中でも尊いのだ。

祖母が知らないことで自由に生きているのも、
それと少し似ている気がしてならない。

「知らない」は、案外すごい力かもしれない

知っていること、わかっていることが、
必ずしも自分を自由にするとは限らない。

むしろ、知らないからこそ迷わずに済むこと、
わからないからこそ心が穏やかでいられることがある。

祖母のように、
知らなくても、自分に必要なものがわかっていて、
足りないと感じない暮らし方をしている人を見ると、
私はやっぱり少し羨ましくなる。

それは、時代遅れでも、情報弱者でもない。

自分にとって何が大切かを知っている人の強さなのかもしれない。

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