最終更新日 2021年11月12日
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2017年
2017年4月19日 1036日 合気道に魅入られて 14 年
楽心館に入門して14年、稽古日数は一千日を超えている。入門当初、合気道をどの程度の期間続けられるか見当もつかなかったが、稽古日誌を読み返してみると、入門2年後の日誌には70歳までは続けたいと記していた。それからすでに5年も過ぎている。何に魅入られて14年間も続けているのか、改めて振り返ってみた。
一言で言えば合気道の不思議さ、面白さに惹き付けられた言える。例えば入門当初、「膝行」は上半身が揺れバランスが取れなくてもたつく。基本の動きを教わっても家に帰るころには半分ほど忘れていた。体のふらつきや物忘れは年齢から言えばそんなものかも知れないが、現実に稽古に参加し、改めてわが身の体力の衰えと記憶力の減退を自覚したが、止めようとは思わなかった。武道初体験の私には、ふらつきや物忘れがあってもそれを上回る合気道の技の不思議な面白さ、今までにはない身体の使い方(真っ直ぐに立つ、力抜き、体をねじらない)など、いつの間にか未知の魅力が私の体に沁み込み始めていたようだ。惹き付けられた基本技を挙げてみる。
◆下げ手
入門から3か月ほど経つと、体は稽古に慣れ、道着も身に付き、道場の雰囲気にも慣れてきた。基本の9級の技を中心に教わる技も増えてきたが、技の手順と型は覚えることより忘れないことに精一杯で、稽古の面白さは感じてもまだ楽しむまでの余裕はなかった。
教えていただいた技の中で、石川先生からこれは高度な技だとして「下げ手」を教わった。私が先生の両手首を両手で下から掴むと、先生は両小手を『相手の肩を開くように下げる』。すると小手を下げられただけで、力で押されるわけではないのに膝・腰から崩される。私も試みたが手首を下げよう(力で押しても)としても、柄まれた手にぶつかって下げられない。当然の結果だ。
当時の日誌には「下げ手」の体験について次のように記している。【受けの手首を下から掴むのだ。物理的に無理だと思う。しかし、先生に掛けられると、先生の手刀の下には何もないように(掴んでいる私の小手が無いように)崩される】。さらに3か月後、居合腰になり胸前に両腕を十字交差した私に、先生が手刀を両腕の交点に当てて崩す「下げ手」を体験した。手首を掴んではいないが、崩され方は手首を掴んだ時と同じで柔らかく崩された。
両手首を掴んだ型も、交差した両手に手刀を当てた型も、何も抵抗(止めることが)できないまま崩される。なぜ、どうして? どうすればいいのか。『腕の力を脱力し、相手の中心に入る気持ちで手首を下げる』と教えていただき、『技を掛けるのに腕力は必要ない』と言われても長い年月の人間生活で、物を持つ、持ち上げる、押す・引く、ねじるなどを、腕力を使うことにどっぷりと過ごしてきたから簡単には直せない。
素直な子供なら、それほど時の流れを掛けなくとも実践可能だろうが、私はあまり素直ではないから体が
言う事を聞かない。この技だけでなく、腕の力を抜くことの難しさは長期間に亘って(今でも)苦労しているが、体験して分かったのが、柔らかな動きで相手を崩すことができる事実であり、合気道の不思議を実感した最初の技が「下げ手」だった。
◆片手取り両手持ち
両手で相手の片手を掴んだ私が、簡単に崩される技があるとは思いもよらなかったのが「臂力の養成-片手取り両手持ち」。先生の片手を両手でしっかり押さえるように指示され、先生『それでいいのか』「はい」と答えると、両手に力を入れ両足で踏ん張っていても、片手を掴んでいる両手がその片手を追いかけるように付いて行き、抵抗力が起きないまま足元へ崩される。
私も取りになり試してみたが、先生から両手で掴まれただけで、これは無理だと思ってしまう。「片手取り転換」なら先生も私も腕一本、それなら何とかなるのではとの思いはあったが、先生が両手で私が片手では2倍の差がある。諦め感が出てくるが、「臂力」での先生は2倍の力の差を物ともしない。しかも、柔らかな動きでだ。これが武術だと思い知らされた。
◆小手の合気・軸抜き-小手返し
入門して4年半余りを過ぎた頃、テキストに記載されている以外の「小手返し」について先生に伺ったところ、次のような技があるとして教えていただいた。私が右手を胸前にして、押されても動かないように拳を固める。先生は左手で私の右手首を掴み親指を甲側に当て、右手は固めた拳に上から掌を当てる。瞬間、膝・腰から真下に崩された。初動は捉えられず、ぶつかりもなかった。「エッ何なんだ、この技は」、と思ったのが最初の感想。
参加者が3人だったので他の2人も初体験した後、交互に試してみたが、腕力を使っても相手の拳を動かすこともできなかった。この技を体験された会員の皆さんはおそらく同じ結果ではないだろうか。大相撲の力士のように格段の体力・腕力がある人なら力技で可能だろうが、腕力の強い者同士では当時の我々と同じでやはり難しいだろう。腕力では崩せない、私たちの固めた拳・小手は正に軸抜きされ、先生に掛かると柔らかなフワッとした「技」で崩されたからだ。
私はこの当時まで、4年半余り稽古をしてきたが、体験した「小手返し」は、今までの技にはない新鮮な驚きがあった。例えば「胸突き小手返し」は相手の拳を交わし、小手を掴み流れの中で肩を返し投げて崩す。「正面打ち小手返し」なども同じだ。相手の体勢を崩した状態から小手を掴んでの投げだから崩しやすい。
だが、この「小手返し」は小手を固定し、しかも拳を固めている相手を崩すのだ。私はとても興味が湧き、心が魅かれたことを覚えている。驚きであり、不思議であり、面白さである。そして何とか会得したいとの強い気持ちが起きた。
◆未知の魅力、合気道
合気道は“不思議だ”だけで稽古を終わっては入門した意味がない。こうすれば掛かると教わっているのだから、掛からない技を自分なりに何とか会得したいと稽古を積む。簡単ではないから時は掛かる。まして中高年者はそうだ。いつかは技を掛けることができるだろう、いや掛けてみたいとの思いで。
到底無理だ、崩せないと思っている技も、徐々に、あるいはある日突然にできることもある。次の稽古日は掛からないこともあるだろうが、落ち込むことはない。出来た、できないの繰り返しで技は身に付いてくる。初めて掛かったときは心の中ではガッツポーズである。あるいはニンマリと。
私は小手の合気に関する技に興味を惹かれ、上記した「小手返し」以降も多くの技を先生から教えていただいている。柔らかな、動きの少ない技は年々進化されているが、残念ながら、私はまだまだ会得できず、いつかは技を…の思いで稽古を積んでいるのが現状。これからも知的好奇心に刺激を受けながら、未知の魅力・合気道を地道に稽古を続ける。それが、楽心館(石川流)合気道の面白さ、楽しさになっている。
10月11日 1064日 強烈な正面打ち一教
数週間前、先生に「正面打ち一教」の稽古をお願いした。正面打ちを受け、肩を返して崩すのが通常の稽古だが、その日は違った。私が打ち込むその瞬間、畳に叩き付けられた。衝撃的な崩しで、一瞬の間に倒されたので崩され方がまったく分からなかった。従来の稽古ではなかったことだ。Tさんも稽古を受けたが、やはり激しく倒された。私も試みたが、まず肩が返せないので話にならない。『腕だけでやっている。足腰を使わないとだめだ』と指摘される。
強烈な崩しは、私の感触では通常の「正面打ち一教」の崩しではなく、打ち込みを受けた手刀からの強い気の通しが大きな要素で、軸抜きの正面打ち一教と言った崩しではないかと思い、今日は同じ技をゆっくりした動きで稽古を、とリクエストした。
しかし、先生の動きは通常の稽古内容と同じで、私の打ち込みを受け、肘を掴み、肩の返しで崩される。『手刀からの強い気の通しなどではなく、連続技で崩し、すぐに肩を抜いただけ。肘を掴んでいる手を働かせることが必要』と先生。私が取りになり、打ち込みを受け、肩を返して崩し、直ぐに掴んでいる小手の肩を抜く。『それで好い、同じ動きを早く動いただけだ』
私の推測は外れているとのことだったが、数週間前の体験は、『肘を掴んでいる手を働かせる』が不明だが、肩・肘を通して体の中心軸を抜き崩す、手刀からの強烈な強い気の通しが大きく影響している、との思いはまだ残っている。以前「波」という技で飛ばされた体験がある私の勝手な推測だが。技のあれこれを考えるのも楽しい。
11月6日 合気道Tシャツ創り
◆稽古日数が一千日を超えた頃、合気道に関連したTシャツを創ろうかと考えてみたが、発想力が固まり、似たような着想だけで、拡がりがない。時が過ぎ行くばかりでアイデアが思いつかず、Tシャツ創りは止めようかと思った。1年以上も過ぎた今夏、ふっと思い付いたのが、楽心館の「楽」の字をイラスト化した「怪鳥!」が「剣の理合いの合気道」を学ぶ剣術稽古。さらに3か月かけてできたのがこのデザイン。これならTシャツにしても面白いかなと思い創る予定。
17年01月 1071日 「掌を上にした交差取り・手解き」
相手の腕付け根に向けて入り身、左回りから親指で相手の小手を押さえるか、そのまま右方向(掴んでいる反対側の肩に向け)から小手を外す。甲が上の時は肘を意識して正中線に向け、柔らかな動きで手刀を立て中心に向ける。
18年0 3月 1075日 「臂力・片手取り両手持ち」
右手を両手で掴まれたとき、掴んでいる相手の両拳の前(体方向)に身を入れ(気を入れる)相手の右肩を(あるいは両肩)抜き、緩みで柔らかく右小手を下げる。「両手取りから転換小手返」-右手を両手取りされた状態から半身を切り替え、右手を掴んでいる相手の両手の間
から小手を上げ、右手拳を左手で掴み、右手で当てて小手返しで崩す。