| タイトル
| 概要
| 著者
| 日付
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| 合気道とモーグルスキー |
合気道を始めて7ヶ月が経過しました。始めてみるとその深遠なるが故、技どころか立居振舞への理解の糸口すら掴めない状態です。この漠然としたものを炙り出したく、私が多少経験するモーグルスキーと彼我(ひが;比べること)を行なってみます。 |
文京支部 五十嵐 政志 |
2007年10月29日 |
| 苦手な転換 |
合気道を始めてほぼ一年強。その技の深淵さと筋の悪さ故習得は遅々としたものであるが、習得補助のため物理的思考を試みている。 |
文京支部 五十嵐 政治 |
2008年7月27日 |
| 合気道とダイエット |
合気道はダイエットにならないはずなのに、私は汗をかいている。本日はその消費エネルギーについての考察です。 |
文京支部 五十嵐 政治 |
2008年10月11日 |
| 合気道にみるニュートン力学とその延長線上にある海と空の事故原因に関する考察 |
人は“僅かな”“等速度”“等加速度”の環境下に於いて認知能力が下がる。合気道が、軸の崩しや半身と言った体の動きのみならず感覚器官の崩しをも巧みに利用しているとすれば、何とも恐るべしである。 |
文京支部 五十嵐 政治 |
2009年5月30日 |
| 建築物のバランス |
建物に水平力(Q)が加わると、水平変位(δ)が生じます。そうすると、建物の自重(P)によって、さらに倒れ込もうとします。 |
本部道場 中澤俊幸 |
2009年10月12日 |
| 合気道における「倒す、転ぶ」の身体的メカニズムの考察 | 立つ、歩く、走る、倒れる等は「制御されたもの」であり、望ましくない転ぶ等は「制御されていないもの」と言える。では、私達が合気道の技を掛けたことにより相手を倒し、相手が転ぶ。このことは、どの様なメカニズムによるのでしょうか? |
文京支部 五十嵐 政治 |
2009年10月29日 |
苦手な転換2 |
「器が人を作る」の言葉がある。黒帯の作る器の形は締めた形から「丸」と思われるが、大きく豊かな丸い器に柔軟に溶け込むに、私には「転換」を筆頭に今以ていくつかの技を苦手とする角を持っている。 |
文京支部 五十嵐 政治 |
2010年11月1日 |
| タイトル
| 概要
| 著者
| 日付
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| 「腰の文化」vs「肩の文化」
| 日本と西欧では立居振舞が異なるが、この腰の文化と肩の文化の違いは文化全般に及んでいる
| 国立支部滑川先生
| 2000年7月15日 |
| 「腰の文化」vs「肩の文化」(続)
| 「二律背反的、絶対矛盾の自己同一」こそ、日本思想の根底に流れる本質ではないかと思っている
| 国立支部滑川先生
| 2000年10月11日 |
| 「腰の文化」vs「肩の文化」(続の続)
| 私たちも今、暫く歩を休め、武道を、そしてさらに「もののふの道」つまり武士道とはなんであったか、思いを至してみる必要があるのではあるまいか
| 国立支部滑川先生
| 2000年11月6日 |
| 私にとって「氣」とはー思い出すまま―
| 私が始めて合気道をこの目で見たのは、戦後3〜4年たってからであろうか、信濃町の東京体育館で日本の代表的武道 ―柔道、空手、合気道― の一大演武会が行われたときである。
| 国立支部滑川先生
| 2000年12月30日 |
| 私にとって「氣」とはー思い出すまま―(続)
| 日本武道には「気合」はつきものである。西欧の人には「気合をいれる」の「氣」とはなにか、いまひとつ分からないようである。
| 国立支部滑川先生
| 2001年1月25日 |
| 私にとって「氣」とは―思い出すまま―(続の続)
| 私にとって忘れ難い“軍人カンドウから聖職者カンドウへの転身”は美しい日本語で45年前の朝日新聞のコラムを飾り、私をいたく感動させた
| 国立支部滑川先生
| 2001年3月3日 |
| 私にとって「氣」とは―思い出すまま―(続の続々)
| カンドウ神父との出会いが、私の一生にとって決定的な意味をもったと述べたが、カンドウ神父がなぜ一陣の風にあふられるように、万里の波涛を越え、はるか極東の地日本へ布教にやってきたのか、私にとって久しく疑問であった。
| 国立支部滑川先生
| 2001年4月4日 |
| 私にとって「氣」とは―思い出すまま―(続の続々々)
| イタリア・ルネッサンス期の1486年、ボッチェルリが描くところの「ヴィーナスの誕生」(ウフィツィ美術館蔵)の絵のモチーフ(主題)が、なんとその白い吐く息にあることを知ったのは、だいぶ経ってからである
| 国立支部滑川先生
| 2001年5月8日 |
| 私にとって「氣」とは―思い出すまま―(続の続々々々)
| 風とは氣であり、氣とは風であり、万物を包みこむ風韻ではあるまいか、というのが近頃の私の感慨である
| 国立支部滑川先生
| 2001年6月30日 |
| 私にとって「氣」とは―思い出すまま―(続の続々々々々)
| 悟道の域に達した者には、余人の追随を許さぬ「風格」「気品」というものが備わってくる。ここにおいて再度、「氣」と「風」とは分かち難く結びついた世界であると言えよう。
| 国立支部滑川先生
| 2001年7月22日 |
| 術より道へ
| 「術」から「道」への移行は、要するに、単なるテクニックとしての「技」の習得から、至高の世界へと至るプロセスとしての「道」を意味するのであろう。
| 国立支部滑川先生 | 2005年8月22日
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| 術より道へ(III) |
「武」の漢字の意味について、考えてみよう。 |
国立支部滑川先生 |
2007年5月17日 |