(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

日常に溶け込む稽古——武道の体の使い方(ハンドル)

日常に溶け込む稽古——武道の体の使い方

運転姿勢から学ぶ体の使い方 ハンドルの持ち方

武道を学んでいると、稽古は特定の時間や場所で行うものだと思いがちですが、実は日常生活そのものが稽古になる場面が多くあります。その一つが、車の運転です。

ハンドルを持つ位置一つとっても、体の使い方に影響を与えます。多くの人は自然とハンドルの上側を持ちますが、そうすると肩が上がり、上腕に力が入りやすくなります。これは、武道でいうところの「力み」に似ています。一方で、ハンドルの下側を持つと、肘が体の側面につき、肩が下がることで、余計な力を抜くことができます。この姿勢は、技をかける際に体の中心軸を意識することと似ています。

なぜそのように感じるのかを考えると、腕の筋肉だけで操作するのではなく、中心に近い部分で支えることで自然な動きが生まれるからかもしれません。武道においても、遠い部分(手や腕)だけで技をかけようとすると無理が生じますが、体の中心に近いところを使えば、力まずに効率的な動きが可能になります。

アクセルとブレーキが生む体の歪み

運転中、ほとんどの人は右足でアクセルとブレーキを踏みます。そのため、常に右足を使い続けることで、体の中心軸が右にずれてしまいがちです。実際に、道路を走る車の運転手を見ると、ヘッドレストから頭の位置がずれている人が多いことに気づきます。

このような姿勢の偏りは、運転を長時間続けることで定着してしまいます。もし、アクセルを踏む際に「中心軸で踏む」意識を持たずにいると、膝が外側に向き、体の歪みはさらに進行してしまいます。これは、武道において「中心から動く」ことを意識しない場合と同じで、無意識のうちに体を崩してしまう原因になります。

運転中の姿勢を見直し、アクセルを踏む際にも体の中心から力を伝えるように意識するだけで、膝や腰への負担が減り、結果的に体の歪みも軽減されるでしょう。

「日常=稽古」という視点

普段からの姿勢や動作が稽古そのものになるのであれば、わざわざ道場での限られた時間だけ頑張っても、根本的な変化は得られないのかもしれません。たとえば、電車のすり革を持つとき、肩が上がらないように意識するだけでも、自分の体の使い方を見直す機会になります。

大切なのは、「稽古のために学ぶ」ではなく、「日常を稽古にする」という発想です。ふとした瞬間に気づいたことを、稽古の場で試し、実践を通じて深める。この繰り返しこそが、本当の意味での上達なのではないでしょうか。

現代の「教わる」稽古と本来の学び

しかし、現代の武道の稽古では「習いに来る」「教えてもらう」という意識が強いのが現実です。本来、武術や技術というものは「盗むもの」でした。先人たちは、技の本質を言葉で細かく説明されることなく、師匠の動きを観察し、自分なりに考え、試しながら習得していきました。

それに対して、現代では「教わること」が当然のようになり、説明を求める傾向が強くなっています。しかし、いくら言葉で説明をしても、体感を伴わなければ伝わらない部分があるのも事実です。

指導者として、どこまで言葉で伝えるべきなのか、どこまで「感じ取ってもらう」べきなのかは常に悩む部分です。ただ、少なくとも、日常の中での気づきを積み重ねていく人は、稽古に対する理解の深まり方が違うことは確かです。

稽古は「学ぶ場」ではなく「試す場」

 武道の稽古は、学ぶ場ではなく「試す場」であるべきです。日常の中で気づいたことや、普段意識していることを稽古の場で試し、それを通じて理解を深めていく。そうでなければ、稽古はただの受け身の学習になり、成長は限られたものになります。

体の使い方を探求するならば、道場だけでなく、日常のすべてがその実験の場となるのです。

運転から学ぶ、体と意識の使い方

武道の稽古は、特定の時間や場所に限定されるものではなく、日常生活の中で自然と身につけるものです。車の運転ひとつをとっても、体の使い方や重心の取り方を見直すきっかけになります。

現代では「教わること」が当たり前になりつつありますが、武道の本質は自らの気づきと試行錯誤の中にあります。日常の動作を見直し、その中で得た発見を稽古の場で試していく。この積み重ねが、真の上達につながるのではないでしょうか。

0 0
Article Rating
申し込む
注目する
0 Comments
最も古い
最新 高評価
インラインフィードバック
すべてのコメントを見る
0
あなたの考えが大好きです、コメントしてください。x
上部へスクロール