(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

「蓮太朗先生でなければ合氣は習得できない」と言われたが、素直に喜べなかった話

「蓮太朗先生でなければ合気は習得できない」と言われたが、素直に喜べなかった話

  指導者としての課題と責任

ある日、門下生の一人が私にこう言いました。

「先生でなければ、合気は習得できないと思います。」

指導者として評価されることは嬉しいことですが、私はこの言葉に違和感を覚えました。本来、合気道の技術は指導者一人に依存するものではなく、学ぶ側の理解と経験の積み重ねによって形成されるものだからです。

 

知識をすぐに共有する癖とその影響

私は、新しく学んだ技術や身体の使い方を、すぐに門下生へ伝える傾向があります。指導の過程で言語化することで、自分自身の理解を深めることができ、また門下生が新たな視点を提供してくれることもあります。

しかし、こうした指導スタイルには課題もあります。すぐに答えを与えすぎることで、門下生が自身で試行錯誤し、学びを深める機会を奪っているのではないかと考えることがあります。

 

皿洗い10年から学ぶべきこととは?

この疑問を門下生に話したところ、彼は次のように言いました。

「世の中には、技術を学んですぐに去る人もいます。そのため、10年間は技術を直接教えず、人の資質を見極めるという側面もあるのではないでしょうか。」

この視点には納得しました。技術の習得には、単に知識を得るだけでなく、それを支える姿勢や価値観の形成が必要です。つまり、「皿洗い10年」は技術そのものを学ぶための期間ではなく、学ぶ姿勢や耐久力を養うためのものかもしれません。

心理学の研究によると、熟達には単なる知識の獲得だけでなく、繰り返しの経験と内省を通じた適応が不可欠とされています。武道においても、技術を継続的に磨き、精神的な成長を遂げることが重要です。

合気道における学びの本質

武道の習得は単なる技術の理解ではなく、経験を通じて身体に刻み込まれるプロセスです。理論的に理解できても、実際に技をかける感覚や、相手との間合いを掴むには時間がかかります。

もし私が指導の際に答えをすぐに与えすぎているとすれば、門下生が自ら試行錯誤する機会を失ってしまう可能性があります。学びの本質とは、自らの経験を通じて深まるものです。

指導者としての新たな方針

では、指導者としてどうすべきか?

  • 考える機会を与える:すぐに答えを伝えるのではなく、門下生が自分自身で考え、解決策を見つけられるようにする。

  • 段階的な指導を意識する:経験の積み重ねに応じて教える内容を調整し、焦らずに成長を促す。

  • 試行錯誤の重要性を伝える:失敗を通じた学びの価値を強調し、単なる知識の詰め込みではなく、実践の中で技を身につけられる環境を作る。

合気道の学びは、決して一方的な知識の伝達ではなく、時間をかけて体感するものです。私自身も指導の在り方を見直しながら、門下生が真の意味での「合気」を発見できるようにサポートしていきたいと考えています。

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