楽しい、良し。

四捨五入すれば七十歳。
自分でも「老人だなぁ」と思いますが、最近ようやくしみじみと 「楽しい」 と言えるようになりました。
自分の稽古が楽しい。
その成果を還元できるので、指導も楽しい。
その稽古生活を妻が支えてくれるから、家庭もまた楽しい。
指導員が運営を担ってくれるので、道場に立つ時間も楽しい。
本当に、周りの皆さんのおかげです。
そんなことを考えていたら、ある禅僧の歌を思い出しました。
「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山
もとの姿は 変わらざりけり」
――天桂伝尊(1648–1710)**
晴れとは順境。
曇りとは逆境。
順境を「良し」と思えるのは当たり前ですが、
逆境まで「良し」と言い切るのは、なかなかできることではありません。
では、なぜ「曇りても良し」と言えるのか。
それは、富士山そのものは天気に左右されず、
つねに“本来の姿”を保っているからです。
これは
「外の変化に心を振り回されず、本質は変わらない」
という比喩でしょう。
人の評価も、感情も、仕事も、技の出来も、
すべては天気のように移り変わります。
武道で言えば、
  • 相手が強いか弱いか
  • 調子が良いか悪いか
  • 場の空気が整っているかいないか
こうした外側の条件は、常に動き続けます。
しかし、
自分の軸(丹田・理念・心の在り方)は、本来は変わらない。
その不動の姿を、富士山に例えているのです。
順境であっても逆境であっても、
「元の姿」――丹田に収まった心・自然の理法に従う本性――は揺らがない。そもそも逆境こそ、自分を育ててくれるのです。難あり、有難しです。
これはまさに
正直 → 無想 → 靈性心
へと進む心の稽古そのものです。
外側の事情ではなく、
本来の心”に立ち返る。
そのための道が武道であり、稽古です。
晴れた日にだけ堂々とし、
曇った日に心まで曇るようでは、まだ天気に左右されています。
本当に強い武道家とは、
どのような状況でも地に足が着き、
静かに本来の姿を保っている人です。
だからこそ、
「富士山のように生きる」
とは、自分の本性を曇らせないこと。
その本来の自己だと、強く言い切れるようになるために、
稽古があり、生活があります。
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