(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

熟年合気道で心身が変わる|癖を直し、日常に活かす稽古の効用

お久しぶりです。ブログがお休み状態で、体がどこか悪いんですか?とよく聞かれますが、いたって元気。

ただ、ブログというやつ、書きたいことがありすぎると、却って手がつかない・・のだというのがわかった次第。

言い訳はさておき、今、熟年合気道でいちばん身にしみているのが、「体の癖は、心の癖だった」という事実です。

ご同輩も身に覚えがあると思いますが、これまで長年体に浸み込んだ、(腕力とスピードこそ善である)というソフトを、いかに書きかえるのが稽古の通奏低音でした。

表層筋主体の動きを、軸と体幹主導の動きに書きかえねば、技もへったくれもありません。

しかし、体のクセというやつの正体は、凝り固まった価値観です。頭や心のクセです。

明治以来このかた、力が強いもの勝ち、速いもの勝ち、という欧米流のマッチョな生き方を毎日の暮らしの中でも志向してきました。

だから、体のクセだけを都合よく抜こうとしても無理です。普段の思考や感情のクセを、書きかえることが必要です。

実はこれこそ、合気道やってきた最大の贈り物でした。

私の場合、力とスピードはむろんのこと、体が顔から突っこんでいく、(ツッコミ癖)が抜けませんでした。わかっていても無意識にそうなる。

これは、日頃の仕事や人付き合いの中でも思い当たる節があります。

一つに熱中すると、熱いといえば熱いんですが、やはり、(前のめり)で、勇み足、独り相撲になりがちでした。

いわば、気剣体が一致してないから、なにごとにつけ、雑に、無理筋に流れやすい・・いあはや、恥ずかしい記憶がいろいろと甦ります。

(気剣体一致)(等速直線運動)(体幹運動とゆるみ)(天の気、地のちから)(接触面の静止)(中心をとる)(浮かせて崩す)・・・

合気道の身体技術を通して、力とスピードのパワー信仰がいかに人間関係の中でも逆効果であったかが、よくわかります。

仕事でも、酒の飲み方でも、家庭での人間関係でも、(ツッコミすぎてるぞ)(胸を残せ)(肘を絞れ)(接点をもっと柔らかく・・)自分に言い聞かせることが多々あります。

稽古で覚えた身体技術が暮らしの中でも活かせるのは無論のこと。自転車をこぐとき、重い荷を持ち上げる時、料理の包丁さばき・・(わたしが習った古武術介護法も術理は同じでした)すべて、稽古に通じます。

スポーツ競技を見る楽しみもぐんと広がりました。

(スピードスケート小平奈緒の滑りは、武道だね。氷面を蹴らず、氷面に合気がかかった状態で滑走しているぞ・・)

(大リーグ大谷のバッティングは、すり足だ、ピッチングもバッティングも体幹で柔らかく動いているな・・)なんて、テレビの前で独り言つぶやいてるなんて日常茶飯事。

そればかりか、小説などを読んでも、落語や音楽を聴いても、合気が掛けられることがよくあります。

(む、この文脈は二教だな・・)(これは、呼吸投げのような楽曲構成だね・・)・・様々な場面で、合気道の術理と対照して楽しんでる次第。

合気道やってらっしゃるご同輩も、似たような楽しみを味わっていることでしょう。

とりわけ、稽古のあと一杯やりながら、体験した者同志が話せることは、何よりの愉悦です。

とかく頭ばかりに偏った生き方は、疲弊します。

体を通して考え、体を通して言葉をしゃべり、体を通して物を見、体を通して聴く。

身の回りの諸事万端、目の前の森羅万象を(武術的に)眺め、語り合う。

一つ一つが、モノクロの花に色彩が甦るような「確かさ」を感じます。・・それは、稽古の思いがけない、大きな余禄です。

熟年が合気道を学ぶことで最も大きな喜びはそのことかもしれないと思うほどです。

熟年者の余生は多くはありません、体の癖も心の癖も完全には抜けきらないやも知れませんが、身体感覚を通じて生きる気持ち良さは、かけがえのないものです。

熟年合気道ならではの極楽を、もっと多くの熟年に味わってほしいものです。

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