合気道をはじめてから、何を見ても合気道と結びつけて考えるのが、どうも「習い性」になってしまいました(笑)
意外なところに(教材)があるんです。
先日たまたまテレビで、宮城の気仙沼で、学生ボランティアを受け入れてきたおばさんの姿を目にしたときのこと。
養殖業を営むおばさんの自宅は津波で浸水。近所に移り住んだおばさんは、元の自宅を各地からやって来る学生ボランティアの宿泊場所として修理したうえ提供。
これまで500人以上の学生を受け入れて、彼らの寝食の面倒を見てきたおばさん、「学生ボランティアは、福の神。これからも多くの人々とつながりあいながら、海の素晴らしさを伝えていく」と、被災者なのに屈託ない。
むしろ、学生たちの活動を母親のように支えてきたのが彼女だったんですね。
親族知人を津波で失い、「辛い」「悲しい」・・と言いつつ、おばさん、あくまで明るくエネルギッシュ。若者たちとつながることが「技化」されて、集団活動のパフォーマンスを活性化しているんです。
同じ(つながる)でも、震災メディアで乱発されてきた「つながる」は、どこか商売や偽善の匂いがして気持ちのいいものでなかったが、おばさんの(つながる)は、めっぽう気持ちがいい。
おばさんの言動、余計な力みや理屈がなく、実に自然体で、のびやか。(気剣体一致)
東北弁の笑顔に、見ているこちらまでひきこまれていく。
何事もあけっぴろげで、構えず飾らず。決してもってまわった言い方をしない。(接点がしなやかなんです)(一挙動、等速直線“言動”)
おばさんの技は、テレビ画面のこちらまで(そうだね、そうだね)と、気持ちよく掛かってしまうんです!
(合気道の術理は、こういう非常時の(対人力)でこそ発揮されるに違いない)と改めて一人合点した次第!(^^)!
都会から来るボランティアには生き方を模索する若者も少なくありません。被災地おばさんの「つながる」技を通じてむしろ若者たちが活性化し、おばさんが彼らの「師」になりつつある。
(合気道の技は自分を活性化するだけでなく、相手をも活性化するんですね)
きっと若者たちは、ボランティア自体もさることながら、後々、おばさんの記憶が大きな意義をもってくることでしょう。
震災は最悪の状況をもたらしましたが、一面で、人と人とが(つながるとはどういうこと?)という主題を人々に投げかけ、都会のみんなが避けがちだった(アナログな交流)の意味を教えてくれている気がします。
もとより、武術は、(危機的状況で生存するため、心身のパフォーマンスを最大化する)ことを構造化しているはずです。
与えられた状況でよりよく生きる技。合気道の懐の深さを思わずにいられません。