稽古場に感謝感謝の1年でした・・
この1年も、稽古場は「実験室」なのだと痛感。
日頃の人間関係の実験をしているようなもの。
稽古場では失敗が失敗ですみますが、生活の中では、人間関係の不和が様々な障害を招きます。
稽古の度に、はっとさせられること多く、先輩諸氏の指摘に頭を垂れるしだい。
技と人間関係に共通する「つながり」
たとえば、(接点でのつながり)。
天地投げでも小手の合気でも、(崩し)や(抜き)でも、技の多くが(つながった状態)をキープすることで技が有効になるのはご承知の通り。
日頃のコミュニケーションも同じこと。
(つながった状態)で語り合えてこそ話が通じる、かみ合う。
一方的に自分の話ばかりする人がいますが、うんざりしますよね。
相手の話に耳を傾けることがまず(つながり)の基本、「聞く力」ですよね。
そこではじめて言わんとすることが相手に届く。相手の心が開いたところに言葉がすーっと入っていく。技が有効にかかるというわけです。
第一印象と心の距離
また、初動が見えてしまったり、加速したり、力でぐいぐい、では、つながりが崩れて、技が掛からないのと同様に、
出会いがしらの表情が(ムッとしてたり)(イライラしてたり)(下心が透けて見えたり)・・では、
相手は腰を引いて警戒し、耳を塞いで身構え、下手すると心を閉ざして反発します。
身の回りでも、(あ、この人は避けよう、警戒しなくちゃ)と感じさせること、ありますよね。
私が(ムッとして)帰宅すれば、家内は、気配を察してすーっと私との間合いを開けるのがわかります。
顔に出やすい私です。
表情は最強のコミュニケーション
やはり、何を相手に伝えるにせよ、まずは、(笑顔)がいいですね。爽やかな顔もいい。究極は無垢な顔。
赤ちゃんの顔を見て、警戒する人はいないでしょ。
相手の身構えが溶けていく表情。
そうすれば何を言わずとも、逆に相手がこちらの気持ちを察してくれるようになります。
(なればいいなあ)
修行は一生続く
とはいえ、赤ん坊に戻れるわけでなし、つくり笑顔は疲れるし、(顔に出やすい私)は、まだまだ(初動が見える男)のようです。
せめて、相手へのリスペクトや思いやりを心掛けるくらいでしょうか。
いつも、攻撃してくる相手が拍子抜けしてしますような「春風駘蕩」の微笑でいるのが理想でしょうが、もっと技術的なこと以前の修行が必要だと思われます。
とうわけで、いくつになろうと修行修行、来年も先輩の皆様、よきご指導くださいますようお願い申し上げます。