63歳にして初段へ精進中・・・
入門してまもなく4年。よれよれの熟年オヤジに、ようやく初段の門が見えてきました。
根気も根性も人並み以下の私が続いてるのは、ひとえに、師をはじめ、先輩諸氏の包容力のおかげに他なりません。
そして、稽古が私にもたらしてくれたものがなければ頓挫していたでしょう。そう、それはまるで予想してなかった「賜物」でした。
稽古で得た意外な気づき
「力まないチカラ」「加速しない迅さ」「等速直線運動」「落下の力とゆるみ」「相手とのつながりと接点」「軸を立てて」「相手の軸を崩す」――。
稽古で口酸っぱく言われてきた楽心館合気道の術理の基本です。
私にとっていつの頃からだったか、それら身体運用の術理の相互作用が、日常生活の様々な場面とだぶるようになったんです。奇妙なことでした。
合気道と日常のリンク
どういうことかと言うと、どなたでも日頃の人間関係を振り返れば――
- 伝えたいんだけど、なんでわかってくれないのか
- 声高で押しつけがましい意見など聞きたくもない
- あいつとは性格があわない
夫婦、家族、友人、職場の人間関係で、誰もが様々なすれ違いを経験しているはずです。
稽古を通して、それら苦い記憶が徐々に腑に落ちるようになりました。原因の多くは「力に対して力で応戦」です。
伝えようと熱が入るほど相手が引いてしまったり、正しいと思って言ったことが一人相撲だったり……。
稽古で学ぶ心の姿勢
「もっと力を抜いて」「方向が違う」「加速しない」「軸を立てて」「つながりを感じながら」「対立点でぶつからずに」「緩んで」――同じなんですよね。
自分の言動は案外自分がわかっていません。姿勢や動きのクセも、師や仲間から指摘されないとわからないように。
術理は人間関係の縮図
つまりは、私にとって楽心館合気道の術理は、人間関係をめぐる術理とコインの裏表だったんです。
落語、歌、小説、芝居、映画――錬達の表現者もそれぞれの「合気道」を工夫しているのが、今ならよくわかります。
一教~六教、小手返し、四方投げ、天地投げ、剣の節理も…すべて通底します。
上手い人の技にかかった時の圧倒と気持ち良さはなんともいえません。「心を打つ」「胸に響く」「感動する」――これもまた合気ですね。
合気道は生活の中に
人間だけではありません。酒を飲むときだってそうです。
「グイグイ押しちゃいかん、ぶつからずに、酒とのつながりを感じて、加速せず…ほど酔いに等速直線で」
おかげで酒との関係は良好になってきて、肝臓の数値も回復しつつあります。はい。
ペットと、パソコンやスマホと、自動車と……。自分と関係を結ぶものはすべてに通用しそうです。
ゆめゆめ、「思い込み」「勘違い」の一人相撲だけは用心せねばなりませんね。
ですから、稽古は、自分に染み込んだ身体運用、表現や思考の「クセ落とし」であり、プログラムの書き換えでもあるんですね。
これからの稽古と人生
中高年にとっては日常生活もまた稽古場の延長。
手ごわい古女房らを相手にどう技を繰り出してやろうかと、せいぜい研鑽に励む所存です。
「日暮れてなお道遠し」
初段とは、ようやく門の前に立った段階かと思います。昔、自動車の免許取得へ、教習所から公道に出たときを思い出します。
人生に残された時間がそうあるわけじゃありませんが、道場でも日常生活でも、精度の次元を本物にすることを念頭に置いて稽古に精進したいと思います。
現在研究中:「合気上げ」
現在、「合気上げ」の研究中です。写真はそのノート。
いつになったら、合格するのやら?