山本角義派の系譜と特徴
山本角義派の系譜と特徴
出生と入門の経緯
山本角義(やまもとかくよし、本名:留吉)は、大正3年3月3日生。
昭和12年頃、会津郷士・武田惣角先生と偶然出会い、板前として働いていた山本が惣角の人相を「怖い爺さん」と思ったのが最初の印象である。
惣角が何度か来店するうちに、「わしは武術家だ」と語り始め、やがて「おまえも来てみろ」という誘いで入門が決まった。
内弟子としての修行と関係
昭和16年より山本は正式に内弟子となり、身体が不自由になっていた惣角の身の回りの世話を献身的に行った。
食事を作り、背負って風呂へ連れていくなど、生活のすべてを支えたという。
惣角は背中で「山本、すまんな、すまんな」と何度も繰り返し語ったといい、山本との間には深い信頼と情があった。
惣角の逸話と短刀の理由
惣角の腹には短刀による傷があった。
これは、かつて会津地方で起きた事件で、11人の土方ヤクザに襲われた際、モッコ(縄の網)を被せられたがそれを切って逃れ、3~4人を投げ飛ばし、相手の刀を奪って3人を斬殺したという。後に裁判となったが無罪となった。
それ以降、惣角は短刀を肌身離さず持ち続けたという。
武田家の由緒と拝領品
武田惣角の父・惣吉は京都の蛤御門の変において勲功があり、祖父・惣右衛門は会津藩主松平容保公より絹の大羽織紐を拝領している。
江戸時代には家臣が身につけることが禁じられていたが、明治に入り惣角がそれを身にまとった。
この羽織紐を含め、惣角は山本に:
大羽織紐
差料大刀
大東流印
「大東流總主」の称号
「角」「義」の二文字を名として授けた
末弟ながら、その地位は極めて高かったことが分かる。
技の継承と合気之術
山本角義は3万余人の門弟の中で唯一、合気之術と真剣術の秘伝を授かったとされる。
合気之術は以下の三つから成る:
小手之合気
体之合気
氣之合気
これらの技は形だけでなく、実際に「掛かるかどうか」を重視する稽古体系に裏付けられており、演武的な流れではなく、技の成否を明確に検証することが稽古の根幹となっている。
惣角の死と最後の弟子として
昭和18年4月25日、武田惣角は青森市の旅館・伊東方にて85歳で逝去した。
死に水を取ったのは山本角義であり、惣角の人生の最期に寄り添った唯一の人物であった。
現在の継承
惣角より賜った技と教えは、山本角義を経て現代に受け継がれている。
「合気」と「剣」を一体としてとらえる山本角義派の稽古体系は、演武や流儀的様式ではなく、実際に効く技・再現できる理合を追求する武道として、今も息づいている。
希望があれば、惣角直伝の合気之術と真剣術の教伝も行っている。詳細はお問い合わせください。