移民問題における「差別」と「区別」──感情論を超えた共生の条件とは
目次
移民問題で混同されがちな「差別」と「区別」
移民問題
移民受け入れをめぐる議論において、しばしば混同されている概念がある。それが「差別」と「区別」である。
「差別」とは何か──否定されるべき排除の構造
差別とは、人種や国籍といった本人の努力では変えられない属性によって排除すること、あるいは経済合理性のみを基準として入口を一律に閉ざすことである。これは当然、否定されるべきである。
「区別」とは何か──社会を維持するための合理的判断
一方で、区別とは、
共生の前提となる四つの条件
- 合法的に滞在しているか
- 合法的に就労しているか
- 日本の文化や社会規範を尊重しているか
- 日本社会に対して具体的な貢献を行っているか
といった、社会を維持するうえで不可欠な条件に基づいて判断することであり、これは差別とは異なる。私は、これらの条件を満たすのであれば、国籍を問わず受け入れるべきだと考えている。
「区別」を語ることが封じられる空気への懸念
しかし現状では、この「区別」を行おうとするだけで「差別主義者」とレッテルを貼られ、建設的な議論が成立しにくい空気がある。その結果、問題点の検証や制度設計の見直しが感情論によって封じられてしまっている。
人口減少対策としての移民政策に潜むリスク
また、多くの自治体が「人口減少対策」や「短期的な経済活性化」を理由に、十分な検討や準備を行わないまま規制を緩和している現状にも懸念を覚える。長期的な社会的コストや地域コミュニティへの影響について、冷静な検証が不可欠である。
移民政策は二元論ではなく、設計の問題である
移民政策は、「受け入れるか否か」という二元論ではなく、どのような条件と責任のもとで共生を成立させるのかを丁寧に設計すべき課題である。感情的な非難ではなく、理性と現実に基づいた議論が、今こそ求められている。
カルガリーで見た「真の国際交流」──武道がつないだ信頼

写真を見てください。カルガリーで子供たちが日本式の礼をして、日本の伝統に触れています。私が指導したのでは、ありません。私が実現しようとしたら、どれだけの労力・費用を要したことでしょう。日本で働きながら武道を学んだJosh氏の貢献です。真の外交・国際交流の姿を見る思いです。

