ある日の加藤先生の講話を、私は時間をかけて咀嚼しました。
当初はその真意が掴めませんでしたが、 考え続けるうちに次第に輪郭が見えてきました。
当初はその真意が掴めませんでしたが、
先生は剣道八段審査の審査員を務められており、 八段審査を振り返って、こう語られたのです。
「土日二日にわたって多くの受験者が来るが、皆落ちる。 古流剣術が身についているか。 鎬で技を掛ける日本刀の使い方になっているか。 そこができていなければ駄目だ。」
「土日二日にわたって多くの受験者が来るが、皆落ちる。
この言葉が長く胸に残りました。
「古流剣術が身についている」とはどういうことか。考え続け、 そしてある時、はっと気づきました。
私が行っているのは“木剣術”であって、“真剣術” ではなかったのです。
先生が言わんとされたのは、「八段審査を受ける多くの人々が、 竹刀術の域を出ておらず、真剣で斬り結ぶ使い方も心構え( 斬られたらその場で命を失ってしまう)も欠いている」 ということだったのでしょう。
「古流剣術が身についている」とはどういうことか。考え続け、
私が行っているのは“木剣術”であって、“真剣術”
先生が言わんとされたのは、「八段審査を受ける多くの人々が、
では、「真剣術」とは何か。
その問いに答えるために、ここで石井猛先生( 警視庁剣道特練監督として全国優勝を導かれた名伯楽) の言葉を紹介します。私たちの稽古場では、毎回、 加藤先生が道場正面に、石井先生が道場下座に座っておられます。
その問いに答えるために、ここで石井猛先生(
石井先生は常にこう語られます。
「竹刀は刀のように扱え。」
「竹刀は刀のように扱え。」
なぜか。それは剣道が刀法・身法・心法の三法を重んずる道だから です。
刀法を学ぶには、刃筋と鎬の働きを理解しなければなりません。
刃引き刀を手にして形稽古を行えば、 刀の構造と理合が体に染みてくる。
鎬や反り、そして刃筋という刀の生命線を理解し、 自在に操れるようになることで、 剣道の世界は一段と広がるのです。
刃引き刀を手にして形稽古を行えば、
鎬や反り、そして刃筋という刀の生命線を理解し、
石井先生はこうも語られます。
「鎬と刃筋を理解するためには、まず刀そのものを知ることだ。」
「鎬と刃筋を理解するためには、まず刀そのものを知ることだ。」
剣道は竹刀を媒介として、攻め合い、隙を捉え、 打突部位を打つものですが、 その原点は刀による斬り合いにあります。
攻め合い、返し、すり上げ――これらの技法はすべて、 刃筋と鎬の理に根ざしています。
日本刀を実際に手に取り、その重さ・反り・鎬を体感することで、 初めて「真剣術」の感覚が目覚めるのです。
攻め合い、返し、すり上げ――これらの技法はすべて、
日本刀を実際に手に取り、その重さ・反り・鎬を体感することで、
竹刀稽古は目的ではなく、あくまで手段である。
そこに追求すべきは、「打突部位へ実際に届く、 気剣体一致の見事な一本」。
――これこそが、真剣術の眼であり、 加藤先生が我々に伝えたかった核心であると、 今は理解しています。
そこに追求すべきは、「打突部位へ実際に届く、
――これこそが、真剣術の眼であり、
お陰様で、私は基本から稽古をやり直しています。
