加藤先生坐伝(三) ―― 真剣術の眼 ――

ある日の加藤先生の講話を、私は時間をかけて咀嚼しました。
当初はその真意が掴めませんでしたが、考え続けるうちに次第に輪郭が見えてきました。
先生は剣道八段審査の審査員を務められており、八段審査を振り返って、こう語られたのです。
「土日二日にわたって多くの受験者が来るが、皆落ちる。古流剣術が身についているか。鎬で技を掛ける日本刀の使い方になっているか。そこができていなければ駄目だ。」
この言葉が長く胸に残りました。
「古流剣術が身についている」とはどういうことか。考え続け、そしてある時、はっと気づきました。
私が行っているのは“木剣術”であって、“真剣術”ではなかったのです。
先生が言わんとされたのは、「八段審査を受ける多くの人々が、竹刀術の域を出ておらず、真剣で斬り結ぶ使い方も心構え(斬られたらその場で命を失ってしまう)も欠いている」ということだったのでしょう。
では、「真剣術」とは何か。
その問いに答えるために、ここで石井猛先生(警視庁剣道特練監督として全国優勝を導かれた名伯楽)の言葉を紹介します。私たちの稽古場では、毎回、加藤先生が道場正面に、石井先生が道場下座に座っておられます。
石井先生は常にこう語られます。
「竹刀は刀のように扱え。」
なぜか。それは剣道が刀法・身法・心法の三法を重んずる道だからです。
刀法を学ぶには、刃筋と鎬の働きを理解しなければなりません。
刃引き刀を手にして形稽古を行えば、刀の構造と理合が体に染みてくる。
鎬や反り、そして刃筋という刀の生命線を理解し、自在に操れるようになることで、剣道の世界は一段と広がるのです。
石井先生はこうも語られます。
「鎬と刃筋を理解するためには、まず刀そのものを知ることだ。」
剣道は竹刀を媒介として、攻め合い、隙を捉え、打突部位を打つものですが、その原点は刀による斬り合いにあります。
攻め合い、返し、すり上げ――これらの技法はすべて、刃筋と鎬の理に根ざしています。
日本刀を実際に手に取り、その重さ・反り・鎬を体感することで、初めて「真剣術」の感覚が目覚めるのです。
竹刀稽古は目的ではなく、あくまで手段である。
そこに追求すべきは、「打突部位へ実際に届く、気剣体一致の見事な一本」。
――これこそが、真剣術の眼であり、加藤先生が我々に伝えたかった核心であると、今は理解しています。
お陰様で、私は基本から稽古をやり直しています。
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