―― 一寸の攻め ――
加藤先生の講話を紹介いたします。
先生は十八歳で上京し、皇宮護衛官を拝命されました。 皇居の済寧館(さいねいかん)において剣の道に入り、 四十二年にわたり修業を積まれました。
先生は十八歳で上京し、皇宮護衛官を拝命されました。
済寧館は、 天皇皇后両陛下をはじめ皇族方の護衛を担う皇宮警察本部の護衛官 が鍛錬する道場として、明治十六年(一八八三年) に創設された由緒ある場です。ここには、日本を代表する高段者― ―範士十段・持田盛二先生をはじめ、剣道界の泰斗が集い、 日々稽古が行われていました。
加藤先生も、その中で特練生として、 各先生方から直接ご指導を受けられたそうです。
加藤先生も、その中で特練生として、
ある日の済寧館、稽古を終えた後のこと。
一人の先生がこう言われました。
「加藤君は、もう一寸(いっすん)攻めてから打つと、 良い剣道になるんだがな。」
一人の先生がこう言われました。
「加藤君は、もう一寸(いっすん)攻めてから打つと、
それを耳にした持田先生が、 静かに微笑んでこうおっしゃったといいます。
「そのもう少しが、難しいんだよな。」
「そのもう少しが、難しいんだよな。」
先生はこの言葉に何も付け加えられず、 講話はそれで終わりました。
けれども私は思うのです。
加藤先生はこの「一寸の攻め」を、生涯の公案として胸に刻み、 剣の道を歩まれたのではないかと。
――“その一寸をどう生きるか”を、 我々自身に問われたのだと思います。
けれども私は思うのです。
加藤先生はこの「一寸の攻め」を、生涯の公案として胸に刻み、
――“その一寸をどう生きるか”を、
一寸――わずか三センチ。
しかし剣を交える間合いにおいて、その「わずか」 は無限にも等しい。
一足一刀の討ち間で、互いに「いつでも打てる」 構えを取ったとき、双方の氣が拮抗し、 そこで初めて合氣が生まれます。
しかし剣を交える間合いにおいて、その「わずか」
一足一刀の討ち間で、互いに「いつでも打てる」
そこからさらに一寸、攻めて入る。
それは技術ではなく、心の問題です。
その均衡を破るのは、理ではなく、存在そのものの在り方。
「どうすればこの合氣を破れるのか」――この問いこそ、 古流剣術の深奥であり、私が今なお試み続けている課題です。
それが、撥氣です。
それは技術ではなく、心の問題です。
その均衡を破るのは、理ではなく、存在そのものの在り方。
「どうすればこの合氣を破れるのか」――この問いこそ、
それが、撥氣です。
この問題を合氣道に置き換えて考えます。
剣術で生まれる合氣の関係は、 合氣道の型にそのまま映し出されます。
両手取りで相手に掴まれた瞬間、 互いが次に打撃を入れられる緊張状態―― そこにすでに合氣があります。
その均衡を破るのが撥氣であり、合氣調和を保ちながら、 撥氣によって相手を崩せるか。
これこそが、楽心館の「氣と丹田の合氣道」です。
剣術で生まれる合氣の関係は、
両手取りで相手に掴まれた瞬間、
その均衡を破るのが撥氣であり、合氣調和を保ちながら、
これこそが、楽心館の「氣と丹田の合氣道」です。
この問いを言葉で語るには、まだ時期尚早です。
心の問題に入るからです。
直心影流剣術では「正直」、小野派一刀流では「無念無想」、
そして氣と丹田の合氣道では、それを「靈性心」と呼びます。
心の問題に入るからです。
直心影流剣術では「正直」、小野派一刀流では「無念無想」、
そして氣と丹田の合氣道では、それを「靈性心」と呼びます。
六十、七十と歳を重ね、八十を過ぎてようやく、
「ああ、こういうことだった」 と言える日が来るのかもしれません。
それまで私は、氣品と氣位を備えた自然体をめざし、 稽古を重ねてまいります。
「ああ、こういうことだった」
それまで私は、氣品と氣位を備えた自然体をめざし、
剣と合氣の道とは――
一寸の間に無限の世界を観ること。
そのわずかな距離に、天地が息づいている。
一寸の間に無限の世界を観ること。
そのわずかな距離に、天地が息づいている。
