加藤浩二範士の坐伝 ― 理は三年、事は十年。沈黙が語る剣の道

■剣道範士 加藤浩二先生の坐伝について

加藤浩二先生は、昭和十五年(一九四〇年)生まれ、八十五歳。
私は先生のもとで、五行の型および直心影流剣術法定の型を学んでいる。
稽古の場で先生は、道場正面に静かに坐しておられる。
基本的に何も仰らず、ただその眼差しで全てを見ておられる。
ときに、どうしても見過ごせない場面でのみ歩み出て、短く一言、注意をくださる。
その沈黙の中に、厳しさと慈愛が同居している。
稽古の終わり、整列の時にお言葉を述べられる。
次の世代に伝えるための教えであり、時に思い出として、時に戒めとして語られる。
それは、皇宮警察で持田盛二先生、小川忠太郎先生に学ばれた経験を踏まえた、極めて貴重な伝承である。

■理と事 ― 「理は三年、事は十年」

昨晩の稽古では、先生が次のように話された。
「理は三年、事は十年。
百錬自得しかないんだよ。
天上大上段より影となり、必然の勝ち。
バアーっと、打太刀を負かす気概でやってこそ、感動があるのだから。」
「理(ことわり)」とは原理・道理・理合、
「事(こと)」とは行動・型・体の働きである。
理を理解するには三年。
しかし、それを身体に宿すには十年。
理解から体現までには、七年の隔たりがある。
理を知ることは容易いが、理を生きることは難しい。
この距離を埋めるのが、稽古という「事の道」である。

■百錬自得と「必然の勝ち」

「百錬」とは無数の鍛錬、「自得」とは師からではなく己の悟りによって得ること。
理を教わることはできても、それを掴むのは自らの気づきしかない。
「天上大上段」とは、剣を天に向けた最高位の構え。
「影となる」とは、己を消し、自然の流れに身を任せる心境。
それは「勝とうとせず、理に従った結果として勝ちが生じる」境地を示す。
段階稽古の内容心の状態
理は三年原理を学ぶ理を知る(知)
事は十年技を磨く理を行う(行)
百錬自得鍛錬の果て理が身となる(体)
天上大上段より影となり必然の勝ち無心の境地理が働く(道)
最終的には「知・行・体・道」が一つに溶け合い、
理を理解していた自分が、理そのものに導かれる存在へと変わっていく。
この一句はまさに、「修行の四段階」を凝縮した武道哲学である。

■坐伝 ― 沈黙の教え

坐伝とは、何もせずに座っていることではない。
弟子の心と体を見抜き、今必要な言葉を選び、
時に雷鳴のように、時に春風のように語ること。
その一言は、心を震わせ、方向を変える。
沈黙の中に満ちる教え――それこそが、加藤先生の坐伝である。
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