(一社)氣と丹田の合氣道会 楽心館

高校生から「惰性で生きていけます」と言われたときに感じた違和感

「惰性で生きていきます」と言った高校生へ——本当に、それは惰性?

稽古の途中、水を飲んで教室の中央に座りました。
それを見ても、生徒たちの動きは鈍く、何人かはなかなか戻ってこようとしません。

一人、特にゆっくりと戻ってきた男子生徒に、私は静かに尋ねました。

「君、それでこれから社会に出て、どうやって生きていくつもりなんだい?」

彼は、表情も変えずにこう返してきました。

「惰性で生きていきます。」

惰性って、そんな軽い言葉じゃない

「惰性で生きていける」という言葉に、私は強い違和感を覚えました。
ただ、その違和感がどこから来るのか、すぐには言語化できなかった。

そこで、同じ時間に稽古に来ていた大人の方と少し話をしてみたのです。

するとその方は、こんなことを言ってくれました。

「惰性って、自分で初速をつけてこそ生まれるものですよね」

この言葉に、私ははっとしました。

惰性とは、自分が一度動き出した結果として「今も動き続けている」状態。
だから、何も始めていない人には使えないはずの言葉なんです。

惰性で生きるためには自分で結局勢いをつけなければいけない

〇〇君 今もちろん「惰性で生きる」という言葉が最近の若者言葉としてあるのは知っているけれど。違和感を感じで他の大人の人話してみたんだ。惰性っていう本来の日本語はなにか勢いがあって、その惰性で進んでいく、という使い方をするんだ、だから〇〇君も惰性で生きる上では何かキッカケを作る必要があるんじゃないかな?

「わかります。めんどくさいバイトをただ仕事する前にはバイトの面接を受けなきゃいけないとかそういうのですよね」

そういうこと

[…]


その沈黙の中に、言葉ではない“納得”のようなものがあった気がします。

武道に限らず、「最初の一歩」を踏み出せるかどうか

武道では、技の前に必ず“間(ま)”があります。
相手との間、心の間、呼吸の間。そこを見て、自分で「動くかどうか」を決める。
この“自分で決めて動く”ことこそが、人生における初速です。

その一歩がなければ、何も始まらないし、惰性も生まれない。

稽古は、技だけではなく「生き方」を練っているのだと、改めて思います。

きっとみんな何かを動かし始めている

惰性で生きていくことが悪いとは思いません。
でもそれは、自分で動き出した人にしか許されない生き方です。

「なんとなく生きてる」「流れに任せてる」
——そんな状態の中に、自分でつけた初速があるかどうか。

それに一度、目を向けてみてほしいと思います。

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