数字じゃなく、“気持ち”で決めていいこともある
祖母が持つ古い家の一角。
同じ建物にある2階の部屋に、長年住んでいた人が退去した。
もう30年近く住んでくれていた方で、室内はかなり傷んでいたけれど、
修繕すれば十分また貸せる。しかもここは23区内。立地も悪くない。
空き家にしておくのはもったいないし、祖母の住んでいる家の固定資産税だってまかなえる。
「貸したほうがいいに決まってる」
私は自然にそう考えていた。
祖母の答えは「貸したくない」
火曜日、稽古へ向かう道すがら、いつもの電話の時間にそのことを聞いてみた。
「直したらまた貸せるし、税金の足しにもなるよ。どうする?」
すると祖母は、驚くほどはっきりと言った。
「知らない人が近くにいるなんて、気持ち悪いのよ。嫌なの。」
その一言に、私はハッとした。
あまりにも率直で、あまりにも“感情的”だったからだ。
気づかぬうちに、私は「数字の思考」に支配されていた
「もったいない」「損得で考えたら貸すべき」「空き家活用」
そんな言葉ばかりが自分の頭の中を占めていた。
でも、祖母にとってその部屋は、他人に貸す“物件”ではなく、生活圏の一部だったのだ。
“誰かが上にいる”という気配に神経を張る日常。
鍵の音、足音、話し声。
他人にとっては日常でも、自分にとってはストレスになる。
その“わずかな居心地の変化”こそが、祖母にとっての「貸したくない理由」だった。
自分にとっては自然 周りから見て不思議に思うこと
実は私は、水道水を日常的に飲んでいる。
これが意外と周りから「えっ!!?」とすごいリアクションを取られることもある
見て見ぬふりをしているが… 海外によく行っていた私からするとすごいありがたいことなのだが…
一時期は水の味を比べて、いろんなペットボトルを試したこともあった、
今は結局、水道水に落ち着いている。
安いからとか、合理的だからじゃない。いやもちろんそれもあるのだが
「これが自分にとって自然」だから。
人は案外、数字や効率よりも、
“気持ちいいかどうか”で物事を決めている。
ただ、それに気づけるかどうかが、大きな違いだと思う。
武道も、最後は「心地」がものを言う
稽古の中でも、技がうまくいかないとき、
「形」や「力」じゃなくて、「構えが落ち着いてない」「呼吸が合ってない」みたいなことが原因だったりする。
つまり、表に見えない“居心地”が技の精度を左右する。
祖母が感じた「気持ち悪い」という感覚も、それと同じものだったのだと思う。
理由を言葉にしなくても、心と体が「違う」と感じている。
そしてそれは、何よりも信じていい判断材料だと、今回の件で気づかされた。
合理性は大事。でも、感情の声も聞こえてるか?
私は「貸せばいい」と思っていた。
でも、そこには自分の“損得勘定”しかなかった。
祖母の言葉に触れて、ようやくそのことに気づいた。
世の中には、「数字じゃ測れないこと」がたくさんある。
そして多くの場合、それが人にとって本当の“居心地”を決めている。
合理性だけで動くことが、必ずしも正しいわけじゃない。
人は、感情で生きていい。
そして、その感情には価値がある。
私はそういう感覚を、これからもっと大切にしていきたいと思う。