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(社)楽心館 氣と丹田の合気道会 Rakushinkan Aikido のサイトへようこそ

自己紹介「私の夢」


   石川 智広  
子供達と(49KB)

このたびは楽心館のサイトをお訪ねくださり、ありがとうございます。このホ−ムぺ−ジは、楽心館の稽古活動10周年を記念して開設されました。楽しく安全な合気道の稽古が、優しさの循環として世界に広まりますようにと、願ってのものです。開設にあたりまして、技術的なサポ−トをしてくださいました国立支部高谷様に、心よりお礼を申しあげます。

私は、氣と丹田の合氣道会楽心館をお預かりさせていただいている石川智広と申します。1960年(昭和35年)生まれですので、楽心館の10年間は、私の年齢の30歳から39歳、西暦の1991年より2000年にあたります。私は、このささやかな10年間の歩みを省みて、なにか世の中に役立てられるものがあればそれをお伝えしたいと思います。またなにも世の中に役立てられるものがなければ、これからお役に立てられるようになりたいと思います。

私は日々の生活の中や、何か壁にあたった時に、心に唱える言葉をもっています。それらは私にとっての、言霊(ことだま)・祈り言葉といってよいものです。最初にその中の一つを、ご紹介させていただきたいと思います。

「冬麗(とうれい)の微塵(みじん)となりて去らんとす(注1)」相馬遷子(注2)

注1『山河』(昭和51)所収。水原秋桜子門で師と同様医師だった。これは重病の床で死を真近に見つめていた最晩年の作。晴れ渡った冬の麗らかな日、大空に満ちて光そのものと化している塵。その微塵とわが身をなして、私はこの世を去ってゆくのだと。「冬麗(とうれい)の微塵(みじん)となりて」が、言いようもなく澄んで明るい。辞世の心をよんだ句では最上のものの一つだろう。
折々の歌」大岡信

注2明治41年長野県生まれ、昭和51年没の俳人。東大医学部卒。佐久市で開業。東大副手時代に卯月会で水原秋桜子の指導を受け、作句。「馬酔木」「鶴」同人。句集『草枕』『山国』『雪嶺』『山河』など。

この句と私については、拙著『命の泉(2)』にてふれさせていただいております。簡単に申しますと、私の幼児期の死を見つめる心について書いたものです。と申しますのは、母方の叔父・叔母4名が、それぞれに40歳を過ぎると次々に逝去するという悲しい体験があるからです。何か不可思議な力を運命として自分も背負っているのではないかと、自分では思っています。青年期に、自分の死生観を築く中で出会ったのが、先の句です。これは朝日新聞の「折々の歌」に紹介されていたものです。この句の透明感が、当時の私の心を強く打ちました。以来私の心の祈り言葉であり、覚悟でもあります。

さてこの欄に、「私の夢」という題を与えております。卑小な私がこんなことをするのは、誠に僭越であることは承知しております。が、ここでマ−ティン・ル−サ−・キング牧師の「私には夢がある」という演説を引用させてください。

「私には夢がある。いつの日か、ジョ−ジアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の息子とかつての奴隷所有者の息子が、兄弟として同じテ−ブルに腰をおろすことだ」

「黒人を白人も、ユダヤ教徒も異教徒も、プロテスタントもカトリックも、すべての神の子が手を取り合って、古い黒人霊歌を口ずさむことができる日が来るのを」

私はこの1963年8月28日、ワシントンで行なわれた「I have a dream 〜」の映像を見たことがあります。驚くべきは彼の「眼」です。この演説の後、39歳で凶弾に倒れることを見越した「眼」なのです。(1968年にテネシ−州メンフィスで暗殺される)深い悲しみ・祈り、そして強い使命感と意志の眼。自分の運命は与えられたものでもあり、自ら選んだものであるという、覚悟のある「眼」なのです。

真意は別のものかも知れません。しかし、私自身の経験からそのように感じると申しあげたいと思います。合気道を、「我を生かし、人を生かす道」として学ばせていただきました。(詳細はこのホ−ムペ−ジ中の「合気道を学ぶ目的」をご覧ください)その結果39歳の今日、自らの人生・命・運命は、必然であり、自ら選んだものである、と思っております。まあ、当たり前のことなのですが。

そこで「私の夢」とは、それは子供の教育ということの中にあります。子供一人ひとりの中に眠る可能性と尊厳生を光り輝かせる「ひれぶる」(詳細はこのホ−ムペ−ジ中の「植芝先生の合気」をご覧ください)ことにあります。

サト−ハチロ−先生の詩に、次のものがありました。

「おさな子に(いとし子に)母はつぶやくそなたありてこそ」

(記憶に任せて書きましたので、正確な字句はわかりません。ご存じの方がありましたら、E−mailにてお知らせくださいますよう)

これは、乳房を喰らう赤子の顔を見る母の思いを歌ったものなのでは、と想像しています。

私も人の親となり、しみじみとこの詩を味わえるようになりました。生活の中で見るわが子、合気道教室に通ってくれる子供たちの表情を見るにつけ、本当に思うのです。「そなたありてこそ」と。そして私たち大人も、大自然の命から生まれた「おさな子」であることを忘れてはなりません。

この子供を思う心に立脚すれば、「黒人を白人も、ユダヤ教徒も異教徒も、プロテスタントもカトリックも、すべての神の子(大自然の元に生まれた人々)が手を取り合って、古い黒人霊歌(平和の歌を)を口ずさむことができる日が来るのを」と思うのです。()内の字句は、著者による挿入。

子供の数だけ愛と夢があります。それに徹することで世界平和へ通じてまいりたいと思います。

参考人と思想 104 マ−ティン=L=キング 梶原寿著清水書院
「I have a dream〜」について、「当時の状況と、このスピ−チ自体の文脈からして、『私はそれでもなお夢を持つ』と訳されるべき言葉であると思う。」とあります。
英文による原文も、本書に掲載されています。

本文中の訳文は、朝日新聞2000年5月30日(火)「ポリティカにっぽん」による。


石川館長(30歳当時)の写真





石川館長(42歳当時)の写真





石川館長(47歳当時)の写真





石川館長(52歳当時)の写真












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