大東流合気柔術とは

最終更新日 2010年9月27日

大東流合気柔術 教授代理 長尾全祐

大東流は江戸時代御式内の名で会津藩上級武士、藩士の護身武術として修業され、江戸時代は門外不出とされていた柔術であります。明治前半剣術家であった郷士武田惣角源正義先生が家老西郷頼母の意を受けられ研鑚、それに全国の武者修行で体得した武術と理合を加え完成されたのが今日の大東流合気柔術であります。

明治31年頃より本格的に柔術家として活動を開始され明治、大正、昭和と門弟3万余人と言われ、陸海軍少将、中将級軍人から警察署長等、裁判所判事にいたる多くの人材を育成された、弟子の中には合氣道開祖植芝盛平氏、八光流柔術宗家奥山龍峰氏、日本新英体道同主井上要一郎氏。大東流にあっては高橋儀右衛門、松田豊作、吉田幸太郎、佐川幸義、前菊太郎、堀川幸道、宗家武田時宗、佐藤啓輔、中津平三郎、阿久津政義、大東流総主山本一刀斎角義など逸材を排出した。今日では多くの派、系統が全国的、世界的に大東流系武術として発展されているのである。大東流合気柔術には他の日本柔術には見ることの出来ない合氣之術、氣之合氣がある事である。

武田惣角先生は明治、大正年代全国武者修業で荒行、滝行をされ山岳修験者山伏のような人物にも師事されたと言われ、杖(短槍術)など陰陽道の極意的な武術を伝承された事であります。さらなる剣の極意をもって大成されたのが高度な武術としての大東流合気柔術であります。武田惣角先生は昭和初年摩訶不思議の術を使う人物として紙聞に報道され有名になったと言われます。

今日不思議の術と言われる本格的な合氣之術を使う人物は不明であるが、普通合氣と云っている力抜きの呼吸投げ技を使う師範方は多く見受けられます。

神刀柔進会

稽古場所

会津武家屋敷

(西郷頼母邸):〒965-0813福島県会津若松市東山町 0242(28)2525

表門に立つ長尾先生 お成りの間:軒出が美しい 警護役の待機所
表玄関:表門と同様に上級武士だけが通された  お成りの間:お殿様がお出でになった時に使用
家老家族が使用した雪隠(トイレ):畳敷き 雪隠の手洗い場 台所の囲炉裏(竈は別)
雪隠の下に箱車:砂を敷いて使用するたびに処理をした。排泄物を調べ、藩医が家老の健康状態を調べることもした。 家老執務室 家老と客の応接間
家老家族の使用した風呂 火事を避けるため、外でお湯を炊いて、桶で汲みいれた。 遠景 台所の天井:雪国らしい太い梁の木組み
間取図:建築面積2400坪・38部屋・328枚の畳 駕籠(かご)部屋に置かれた駕籠 下級藩士の生活した部屋
駕籠部屋・下級藩士の部屋の外側 水力による藩の精米所:16個の石臼で1日で16俵精米できる。当時東北随一。文化十年(1813年)白川藩で使用されていたものを移築復元。 鶴ケ城内茶室踏み石
遠景 家老家族(母妻子供21人)の自害の間も残されています。撮影は遠慮いたしました。 戊辰戦争に使用された四斤山砲(再生品) 四斤とは4kgの弾丸を発射できる口径の表示。山砲とは、山地などで使用する場合、分解して運搬できる火砲のことをいう。口径8.5cm、砲身長95cm、射程2600m。
家老屋敷の役割
大きく四つに分けることができる。
一、お成り御殿。藩主をはじめ重役以外は通されることのなかった格式の高い部屋。
二、使者の間や番所、役人所など西郷家家臣が執務や警護に使用する部屋。
三、客待ちの間・表居間・奥二の間など、家族が使用する部屋。
四、女中部屋・台所など使用人が使う部屋。
西郷頼母近悳(さいごうたのもちかのり)
西郷家は、会津藩松平家譜代の家臣で、代々家老職を務め千七百石取りの家柄でした。松平容保(かたもり・九代藩主)が京都守護職を引き受けた際には、容保の袖にしがみついて辞退を進言した。会津の民が恨みを受けて将来苦しむであろうことを予想して、忠言したのである。
長尾先生の文章2行目に「明治前半剣術家であった郷士武田惣角源正義先生が家老西郷頼母の意を受けられ研鑚」とあります。維新後、西郷頼母は武田惣角先生に「これから剣術家で生活を立てるのは無理だから、柔術を活かしなさい」と、助言した。西郷頼母は血縁が西郷隆盛と繋がっていて手紙のやり取りもあった。西南戦争に際しては、武田惣角先生に九州に渡って隆盛を助けるように要請した。その意を受けて武田惣角先生は九州に渡ったが、政府軍に包囲されている中へ入ることは出来なかった。
写真撮影と文責:石川智広