歳時記
8月夏休み編
残暑お見舞い申し上げます。
 我が家でも蟋蟀(こおろぎ)が鳴き始めました。今は涼しさを感じさせてくれる「鳴く」が、秋も深まり冷え込むようになると、消え入るような「泣く」に変化してゆきます。虫の音にも奥深い情緒を感じます。
2006年8月14日
見えにくいですが、稲の花が咲いているのですよ。
夕方から朝にかけて、オシロイバナが咲く。数ある中に一輪だけ、「ハーフ・アンド・ハーフ」の色を見つけました。本当に珍しいものですね。
 両親の家へ泊まりに行きました。父が途中まで、出迎えてくれました。80歳、背骨が湾曲して小さくなる一方、孫の背丈は伸びる。もうすぐ高さが並びそうです。     
 おかしな表現になりますが、私はかつてこの背の曲がった老人の子供だったのです。忘れようもないことですが、あえて言ってみました。昭和30年代から40年代前半、家風呂はまだそう多くはありませんでした。もちろん我が家にもありませんでした。父と兄との三人で、銭湯(せんとう)へ通うのです。三人で背中を流し合いました。生一本な気性の父の背中は、大きくがっちり感じたものです。


 どこか砂漠の国の諺を、聞いたことがあります。旅人に質問をして答えられないと、旅人を食べてしまう怪物の話です。その質問とは「最初は四本足、次は二本足、次は三本足になる動物は何か?」というものです。はたしてなんでしょう?
 父の映像をご覧ください。傘を杖に歩いている。これで三本足です。赤ちゃんは這い這いをして、四本足。歩行するようになって、二本足。そして杖を突いて、三本足。ですから怪物の質問の答えは、人間です。ですが父の心は、もうその次にいっているのです。 
 二人の伯父がそれぞれに、76歳で逝きました。父が76歳になった時、次は俺だと胎を決めたのです。自分であちこち見て回って、気に入った墓所墓石を求めました。そして散々工夫して、銘を彫りました。家族への感謝の気持ちを表したようです。今はそれが何だかは、言えません。準備万端整った時、父は私に言いました。 
 「いい所だぞ、お前も見て来い。お前も入れるんだぞ!」と、実にうれしそうに言うではありませんか?私は目の前がクラクラして、「観にいくものか!」と思ったのです。
 両親の家の隣接した公共の土地を借り、草花が育っています。映像はその土地のもの。母はこれらを見ながらとても残念そうでした。
 「お父さんがこの土地を更地にして、役所に返すと言うの。もう身体が疲れて、手入れできないからって。剪定しておくだけでいいのにね」と。
 
 母の寂しい気持ちは分かりますが、父の考えも分かっています。私は母に何も応えませんでした。黙っているしか、できません。

 千利休は茶道百首で、
「ならいとは 一よりならい 十を知り 十よりもどる もとのその一」


 これを武の教えでは「万刀、一刀に帰する」といいます。
 私は普段の稽古で説くことは、「一」にすること。それだけです。軸を立てる、一にする。半身を捻じれのない、一致の一にする。相手との関係を一直線の一にする。

 軸を立て(天地人) 半身捻らず 真っ直ぐに
 剣も柔も 素のその一


 さて砂漠の国の諺に戻ります。ここから先は私が作った質問です。「最初は四本足、次は二本足、次は三本足になる動物は何か?そして最期は何本になるか?」というものです。はたしてなんでしょう?

 稽古の世界からすると,
「人間は一に帰する」のではないでしょうか。父はそれが分かっている人だと、私は思います。一本・一文字の一。左から筆が入って水平に一文字、右に筆が抜ける。止めるのではなく無限小に抜ける。消え入るような蟋蟀の「泣く」も、無限小に消えてゆきます。絶えるのではなく、続くのです。
 

蟋蟀の 消え入る音に 旅荷解く(たびにとく)

父は、蟋蟀の消え入る音に乗せて、人生の旅荷を解(ほど)いているのでありましょう。
花写す 己が両足 踏ん張りぬ