歳時記
10月 彼岸花
彼岸花に鶏頭の花。我が家の庭が赤く染まると、演武会の季節が到来する。東京武道館・府中市民体育館・明治神宮・荒川スポーツセンターへと連続です。
 彼岸花は根が豊か。そのために水田の畦が崩れないように植えられます。15年位前までは、千葉駅から外房線に乗って土気あたりを過ぎると、広がる田園風景の中に真っ赤な彼岸花が揺れていたものです。 我が家の近くでも、崖地の土崩れを防ぐためにも植えられています。
 不思議なのですが我が家の庭には、真っ白い彼岸花が咲くのです。そういえば紫陽花も真っ白でした。さすがに鶏頭の花に、白は見つかりませんでした。 
 花の赤さに何を感じますか?人それぞれの感じ方がありましょう?それが彼岸花としたら、なおさらのこと意味深長です。 
 昨日15日は第12回府中居合道大会が、盛大に執り行われました。浅学非才な私が、毎年、挨拶と演武の機会を与えていただき、大変恐縮いたしております。武道の分野は異なっても、諸先輩方とお話させていただくと大変勉強になります。
 型と技と道。それぞれは別のもの。それを繋がるようにするのが稽古。型は形式と手順に過ぎない。型を覚えてそれを「技」化する。そこに必要なのが「錬り」でしょう。氣を体軸に通す。身体の中心「丹田」を柔らかく。剣の理合で相手の中心を感じ取って、ただ真っ直ぐに入る。
 そして技が掛かって、それが何なの?何処に道があるの?どう生きているのか?それが大問題。そこまで行かなければ、事理一致になれない。道を学ぶとは、そういうことでしょう?どのように生きた人が、どのように武道を学び、どのように社会に活かしているか?それを実地に、 見ることが大切です。
  
 昨日は本当に有意義でした。O先生は、予科練から人間魚雷「回天」の部隊へ志願されで大変ご苦労なさいました。敗戦すると一転してGHQの警備。マッカァーサーがコーンパイプをくわえて厚木飛行場へタラップを降りてくるのを、目の前で観ていたそうです。時代に翻弄されながらも、武道を学び続けられています。「集中と無心」・「自分の心に対する間の大切さ」など、貴重な話を拝聴しました。こうした苦労をされながらも真摯に歩まれた方が、惜しみなく語る言葉、これは「真言」(しんごん)だと思って受け止めています。私にはさらに言外の言葉が聞こえるような気がしました。ご本人は何も仰せになりませんが、私が勝手に話させてください。
 「戦前が良かったなどとは決して思わないが、この60年日本はおかしな方へ向かっている。日本が世界に誇るべき「道」の思想、若い人々に伝えておきたい」。これが最重要な課題だと、気持ち新たにした今日でした。