平成18年4月4日  「合気道」  石川蓮太朗(5年生)の日記より



ぼくは、合気道をやっています。やっているといってもお父さんが先生なのでやりやすいです。 ぼくの級は、けっこう上の方なのでまいしゅう土曜の夜、7時から9時30分まで、やっています。 夜でほんとうは大人がやる時間だから、わざはむずかしいしねむいしでたいへんで、ぼくがいちば んすきなじかんはきゅうけい時間。あったかーいお茶をのめる時間。 いままでのつかれがぶっとんでも っとがんばろうと思って。 はじめはぼくとう(木刀)で、きゅうけいがおわったらたいじゅつ(体術)で。 おわ っていっつもつかれたっておもうと、お父さんもいろんなところへいって つかれるだろうなと思います。 だ からぼくもお父さんにまけないようにがんばるぞと思いました。

蓮太朗さんへ父として

あなたの日記は、お母さんが私に見せてくれました。あなたが下書きに書いたものを、私に渡してくれたのです。これはお母さんの私を泣かせようとする、いたずら心でしょう。大切に保管してありますよ。  そして私がこのようにネットに公開することをあなたに無断でしてしること、父としての私のいたずら心と思って、堪忍してください。きっとあなたがこれを発見するのは約二年後、中学生になった頃でしょう。身長体重は私を追い越し、きっと嵐のような反抗期を迎えていることでしょう。あの大きな目をさらに開いて、怒ることでしょうね。  表題を「蓮太朗さんへ父として」としました。「先生として」ではありません。今の時点ではこれが自然だからです。2才7ヶ月で稽古着を着たときから、道場では「先生」と呼ばせました。このけじめをつけること、あなたは自然に受け入れたと思っていましが。しかしあなたの日記を見ると「やっているといってもお父さんが先生なのでやりやすいです」と、あります。やっぱりお父さんですよね。世間様のように土日祭日に家族で出かけるようなこともなく、ずいぶんつらい思いをさせました。しかしあなたは私にとって、世界でたった一人の息子であり嫡男(ちゃくなん)です。いつかは「先生がお父さんなので苦しみました」と、大きな壁を乗り越えて言えるようになってください。  「お父さんもいろいろなところにいってつかれるだろうなと思います」とありました。私はこの言葉に心を鷲掴みにされましたよ。健康で心優しく育ってくれと、本当にありがとう。お母さんも本当に良く育ててくれましたね。ありがとう。

 ドイツの諺に「苦い味を知らないと甘さも分からない」とあります。日本の言葉でも「苦楽」と言うのであって、「楽苦」と言うことがありません。苦が先であって楽が後であることを、伝えたいのです。これを「先憂後楽」(せんゆうこうらく)とも言います。  お父さんは、事情があって私の伯父たちが早くに逝ったので、自分も人生は40歳までと区切りをつける気持ちで生きていました。我武者羅な中で、結局、武道も生きることも、本質は掴めませんでした。しかし不思議なもので、求めていると必要な情報・体験が集まってくる。これを縁というかは分かりませんが。  「解決」という言葉があります。解けて(ほどけて)見えてくる世界のことです。心の世界も身体使いの世界も、解けることによって解決するのだと思います。  お母さんとであってあなたという家族も授かって。20世紀から21世紀へのプレミアムが40歳で。合氣が分からなくて教えてくれる方があって、ともに稽古してくれる方があって。これを縁というのだと思います。交通事故に遭ったりもありました。結果、力を抜いて稽古する・生きるが、「解ける」ことにも通じました。  さてあなたは?叱られた後ても、「天才バカボン」の鼻歌で、おおらかな子です。しかし今のままでは、いけません。どこかで壁を乗り越えなければなりません。行き詰った時、「何が基本だろう?」そう思ったら、「先生がお父さんなので・・・」の関係に入る時だと思います。  半身を捻るな。軸を立てろ。氣を通せ。脱力した瞬間に直線に入れ。意味の見えない単調なことを、繰り返し言われるようになります。私が「先生がお父さんなので苦しみました」と言った意味が、理解される時が来るでしょう。そしたら「苦が楽になり、楽が苦になる」と心して、精進してください。

   

平成18年7月25日

                               父 石川智広

7月21日 
足立区綾瀬
東京武道館第一部道場にて

追伸 あえて小さな声で言わせていただきます。「私はこの言葉に心を鷲掴みにされましたよ」と言いました。心がこの写真の葉のように、なってしまいました。
7月21日
自宅玄関前