僕の合気道/2011年 自分にとっての合気道とは(2014)
最終更新日 2011年3月30日
ぼくは、三さいのころ合気道を始めました。(げんざい、四年生です)その時ぼくは、合気道がどういうものかをあまりよく分かりませんでした。だんだん大きくなってきて、石川先生にわざやれいぎを教えていただき、ちょっとずつ合気道を学びました。
石川先生は、いつもきびしくしどうするので、時には、ちょっといやになることもありました。でもすきな合気道なので、練習でしかられてなみだがでても、がんばってやってこれました。
しんさかいの時は、いつもドキドキ、きんちょうしていましたが、がんばって合かくした時は、すごくうれしかったです。自分が、がんばってきたから、うれしさも大きいと思います。
ぼくは、合気道をやってきたおかげで、あきらめないで立ち向かうことと礼ぎ正しさを学んだと思います。これからも合気道をがんばりさらにいろんなことを学んでいきたいと思います。
2011年2月11日 中野体育館柔・剣道場で、春季子供審査会(東京地区)が行われました。その閉会の辞として、足立区東京武道館所属の岡村岳音(おかむらたかね)君に、スピーチをお願いしました。内容は本人に任せまして、私も保護者様も、いったいどうなるかな?楽しみにしていました。
皆さんの前に出た岳音君は、礼をして胸元から原稿を開き「ぼくは、三さいのころ・・・」と、はきはきと話し始めました。この瞬間に、彼の入門当時を知っている私は、「エッ!この子が?」と、度肝を抜かれました。保護者様もきっと、今日の彼をお姿をご覧になって、誇らしく思っていただけたと思います。
「石川先生は、いつもきびしくしどうするので、時には、ちょっといやになることもありました」のお言葉には、いかに彼が耐えてきたか、真情の吐露であると感じます。何度も審査会の緊張を乗り越えてきた満足感とともに、「これからも」と積極的な姿勢で話を結んでくださいました。この日は楽心館の20周年をい祝う席もありまして、私はさまざまなことを思い出すとともに、美酒に酔わせていただきました。
岳音君そして保護者様、本日のスピーチ、まことにありがとうございました。
合気道は受身が中心の武道だと思っていたことから、以前から子供に習わせたいとの思いがあり、楽心館の話をうかがい入門させました。まず3歳上の兄が入門し、本人は稽古にいっしょについていくようになり、最初は見学してました。兄が稽古する傍らで、自分は関係ないとの考えもあったのか、のんびりと眺めていたのではないかと思います。
本人が3歳になった時に、いっしょに稽古見学にいくのであれば習わせたほうがよいと思い、正式に入門することにしました。本人は「まさか自分が習うことになるとは」との戸惑いがあったようで、稽古そのものを嫌がり、合気道と聞いただけでブルーな気持ちになっていたようです。最初の一年間は、稽古の前日から「合気道に行きたくない」と言い出し、家でも泣いてました。無理やり稽古に行かせても、隣に私が座りいっしょに稽古しないと逃げ出してしまう始末でした。
やっと1年生になった頃から、一人で稽古できるようになり、だんだんと合気道そのものを楽しめるようになってきたと思います。帯の色が変わり、新しい技ができるようになることに喜びを感じられるようになりました。現在では暗い夜道でも一人で稽古に通っています。
先日の審査会の閉会時に本人が合気道について話をしたのですが、本当は半年前の審査会で閉会スピーチをするよう石川先生に依頼を受けていました。本人もそのつもりで出かけたはずだったのですが、いざその段になると緊張で足が竦んでしまったようで、取り止めにしていただかざるを得ない状態になりました。大勢の人前で話をすることはまだ難しいかと思いましたが、期待されたことに応えることの大切さを本人に話しました。本人は取り止めになって安心した気持ちとともに、一抹の悔しさを感じていたようです。
ところが、半年後の審査会で、再度閉会スピーチをしてほしいとの話をいただきました。本人も前回の悔しさから、今回のスピーチは取り止めにできないとの気持ちをもっていたと思います。準備した文章を読むスタイルでしたが、全員の前で臆することなく大きな声で話をする姿には、入門当時の泣き顔はなく、自信に満ちた顔があったように感じました。合気道を習い始めて7年になりますが、成長の段階をゆっくりと、でも着実に登っていることを感じた瞬間でした。 2011.3.6(日)