外科医として合気道体験

最終更新日 2014年5月14日

匿名様

はじめに


私が楽心館に入門させて頂き、合気道の稽古をはじめてから早いもので2年半程が過ぎました。
はじめは娘がお世話になっており、その送り迎えの際に稽古しているのを見るにつれ、自分も合気道を始めてみたいと思うようになったのが入門のきっかけでした。

実は、以前より居合や合気道などの武道をいつかはやってみたいと思いつつ、年齢や仕事など考えると長続き出来ないだろうと思い切れないでおりました。

私は外科医をしております。

いつの間に後進の指導にも責任ある立場となり、辛抱強く指導するためには心を強く保たねば思うことがさらに多くなりました。
こころを鍛える必要性。さらに、指導者として、『指導する』ということを考えたとき、自分が教わる立場に戻ってみるべきでは。そのようなこと漠然と感じていた時期であったこともあり、合気道の稽古を始めることにしました。(若干の飛躍をお感じになるかもしれませんが、このくらいの飛躍がなければこの歳から始められそうもないのも事実。そのうち50歳!)ともかく、こころを練り、できれば技も錬ることができればと一大決心致しました。

無論、娘とともに合気道の稽古ができれば楽しかろうと思ったのも事実です!


合気道を始めてみて


楽心館で合気道の稽古を始めて間もなく、合気道の技に対し当初私の思っていたイメージがかなり違っていることに気が付きました。
当初思っていたのは合気道の技というのは、ある型に従い相手の関節や筋力の限界に導くことにより相手を制すること、つまり関節技などに近いイメージを持っていました。
しかし実際に技(特に二教なんかそうですが)をかけられると、手首や肘などを作用点とされているはずなのにそこに痛みなど大きな力の作用は感じられず、腰や肩といった体幹が崩される、いわゆる腰砕けの状態となるという実に不思議な経験を致しました。

単純な関節技や力技ではないのはすぐに分かりましたが、どうしてそのように技がかかるのかは口では説明し難く、経験してみないと分からない感覚です。
脳では認識し難い作用が加わるためということだけは理解致しました。

不思議というより、これは思っていたものより極めて奥が深いものだと感じるのにさほど時間は掛かりませんでした。

今では娘より私の方がのめり込んでしまっております。

あっと思った時にはすでに掛かっている、という合気道の技に正に掛かったかのような今の私の状態です。



合気道と外科手術


楽心館で合気道の稽古を続けていくうちに、石川先生がよく言われる言葉の中に、私どもが日々仕事の中で意識していることとよく似ている言葉があることに気付きました。
以下にその辺を申し述べたいと思います。(但し、外科と言っても私の専門は消化器外科、すなわち腹部の外科であり整形外科ではありませんので、関節可動域や骨格筋云々から合気道の技を解き明かすようなことは申し上げられませんのであしからず。)

三角形 体術や剣の稽古の際、石川先生はよく三角形を意識するようにおっしゃられます。
例えば、半身で構えた時に自分の手が頂点となり、横からみた時でも上からみた時でも自分の体と大きな三角形ができ、その頂点に身を入れなければ強い構えにならない。
剣でも体術の技の中でも相手を制する動きの中に三角形の形成が大切な要素となっているようです。

外科手術、特に最近非常に多くなってきている腹腔鏡手術の中でも三角形というのはよく意識せねばならない言葉です。
腹腔鏡手術についてはご存知の方も多いかも知れませんが簡単に説明致します。

おなかの手術の際に大きくおなかを切開するのではなく、3ミリから10ミリ程度小さな切開で穴をあけ、その穴の一つ(多くは臍の部分)から腹腔鏡と呼ばれる内視鏡でおなかの中を見ながら、その他の穴より腹腔鏡手術用の細長い器具(鉗子)を用いて手術をします(大腸や胃など取り出すものがやや大きい場合には3−4センチの切開が必要となります)。
キズが小さいため、開腹手術と比べると術後の痛みが少なく、回復も早めでキズも目立たないという利点があります。
腹腔鏡手術の際、術者はこの手術用の細い長い鉗子を左右の手に持って手術をする訳ですが、その器具はおなかに開けた小さな穴を通して(実際には穴直接ではなく、トロッカーと呼ばれる筒状のものがその穴に刺してありその筒の中を通じて器具や腹腔鏡を出し入れします。)いる訳ですので、その穴即ち腹壁(おなかの壁)の部分が支点となり、器具を持っている術者の手元が力点、器具の先端が作用点となります。
ですから極端に言うとシーソーの動きのように、手元の動きと器具の先端動きは逆向きの動きとなります(図1)。

また、腹腔鏡もある一点からの視野となり、しかもモニターを介して見ているため2次元的であるため、奥行きの距離感が掴み難い(最近は3Dのものが出てきております。)ものとなります。
こうした動きの制限のなかで大切になるのがtriangulation即ち三角形の形成です。
つまり、腹腔鏡から見る視線=視軸を中心として二等辺三角形を作り、その頂点に左右の鉗子の先端=手術操作をするところが来るようにする(図2)。
こうすることにより限られた動きや視野の中でも、最も左右の鉗子を違和感なく操作出来て、奥行きの距離感も掴みやすくなり、確実、安全、効率よく手術を進めることができる訳です。

三角形の形成は別の部分での重要となります。
手術で組織を切り込んでいったり(=切開)、剥がしていく(=剥離)際にメスやはさみでただ単に押し付けていってもうまく切れません。
切るべきところの近くを術者の左手の鉗子と助手の鉗子で掴んで引っ張り合って、切るべき部分に緊張を掛けることによりメスやはさみで切りやすくなります。
これをカウンタートラクションと言います。
これは単に2点から引き合う操作をそう呼びますが、これを術者の左手と助手の左右の手の鉗子の3点で引き合うことによって、切り進めていこうとする部分をより平面的に奥から浮き上がらせるように緊張を加えることができ、切開深度まで調節しやすくなります。
即ち、切開する部分の奥にある血管や臓器を損傷することなく安全確実に手術を進めていくことができます。

これらの三角形を意識することは手術を制する上で極めて重要となります。

軸を意識する 体術や剣の稽古の中で、軸を意識せよということをよく注意されます。

各種の技の中で相手にこちらの動きの情報を与えない動作や、大きな力を用いる動作ではなく効率よく相手に作用を及ぼす身体使いでは、様々な軸の方向を意識することが肝要かと思われます。軸を意識するという言葉もよく外科手術の中で使います。
先ほども述べましたように、腹腔鏡手術では術者の鉗子はおなかに置かれたトロッカーと通して手術操作部に到達します。
一つのトロッカーはおなかのある一点に設定されるため、手術操作部に至る鉗子の角度はトロッカーと手術操作部を結ぶ線により自ずと決まってしまいます。
そして、鉗子のなかにも先端がはさみのようになっているものがあり、これを用いて組織を切開する場合があります。
ごく特殊なものを除いては切開出来る方向は鉗子の長軸方向に一致しています。
ですから制限された鉗子の軸の方向と自分が切り進めたい方向を十分に意識して、それらを一致させなければ手術は進められません。

これは切開するというという操作だけではなく、針糸で縫合したり、特殊なデバイスで腸管や血管を縫合切離する時にも、針糸を持った鉗子やデバイスの軸を意識することが大変重要となります。
操作するごとにトロッカーの位置を増やしてしまうとおなか中小さいながらもキズだらけになってしまいますので、ある程度限られたトロッカー数でやらなくてはなりません。そのためには制限された動きの中でいかに効率よくやるかということが必要になってきます。

さらに、胃カメラや大腸カメラなどの内視鏡においても軸の意識は重要です。

内視鏡の検査や治療では、あのような細長いものを狭い空間に挿入していき、先端についているCCDを通していろいろの方向を見回したり、治療の場合は先端の穴から出した処置具で患部切開したりします。細長い内視鏡の先端を、思うように正確にかつ効率に操作するには内視鏡の軸を意識した操作が不可欠となります。

合気道に於いても腹腔手術や内視鏡に於いても限られた動作のなかで効率よく作用を及ぼすということに関しては軸を意識するというが重要なのではないかと感じられます。

左手の重要性 剣の稽古に置いては左手の重要性を注意されます。剣を構え、打つ動作に於いては、右利きの私はどうしても右手優位になってしまいます。
動作のきっかけ、方向性、剣に身を入れるのいずれにもどうしても右手が主体となってしまいます。
利き手の右手ですべてを賄おうとするために力んでしまい、タイミングもそれこそ軸もずれてしまうためにすべてが崩れてしまう。剣に体も入らなくなってしまう。

石川先生が、よく右手身勝手とおっしゃっていることである。すなわち、右手は勝手に先走り、捻り、力んで技を駄目にしてしまう。
まさにおっしゃられる通りになってしまいます。

外科手術に於いても正しく同じことが言えます。

メスやはさみで手術を進めていくのは通常右手です。
切り進めていこうと思うあまりに右手が力み、右手を激しく動かしまうのでは上手な手術は出来ません。

むしろ左手の摂子(いわゆるピンセット)で把持した組織を右手の刃先に誘導し持っていき、右手は力まずに余裕を持たせて刃触りを感じながら切っていく。
また、その際にも左手で緊張を利かせる度合いや刃先に合った方向性などを微妙に調節したりします。

その方が精緻で効率的な手技が出来るのです。

腹腔鏡手術でもこのことは重要で、先に述べた右手の鉗子の軸に合わせるためには、その軸の方向に左手を用いて合わせていくという動作が一層重要になってきます。
人によっても同じ人でも部位によって組織がもろかったり、固かったりしますので左右の力の加減をその場その場で瞬時に判断し、変えていけるようになるのも技術の一つです。

合気道でも相手の関節の可動性や筋肉のしなやかさによって技の掛けやすさが異なる気がします。

特に最近稽古した小手返しではそれが顕著でしたが、石川先生は瞬時にそれを察知してどのような相手にでも的確に技をかけているように見受けられました。

いずれにせよ手術に於いても左右のバランスの取れた協調運動が重要となりますが、はじめのうちは、特に右利きの場合はどうしても右手でなんとかしようとしてしまうため、左手が死んでしまいます。
若い医師を指導していると、石川先生には私の稽古中の動作がこのように見えているのだろうなと思えることが多々あります。
指導中にもこのことを思い出しては、指導中に指導されているような不思議な感覚を覚えることがあります。

自分のことが客観的に見えるこの感覚は確かに大事なものです。

自分の姿勢がみえる  合気道の稽古の於いて相手と相対し、気•剣•体の関係を築いた時などに左右と真上から少なくとも3方向からその関係が見えていなければならないと教えられます。
自分の目で見ている情報だけで動作すると真の軸や中心を捉え損ねてしまう結果となります。

これは外科手術の際も同じことが言え、術者はとかく視野狭窄に陥りやすく全体が見え難くなっていることがあります。
初心者ほど陥りやすく、おなかの切開だけでも曲がってしまいそうです。あたかも天井から自分が手術している様を見ているような感覚がないとそうなってしまいます。

患者様の体の中心軸は頭頂部とお尻の穴を結ぶ線であり、真の背側は天井から地球の中心に向かっているはずです。

また、視野狭窄というのは全体の流れの判断ということでもそう言えます。
術者自体が遠景感を持てない場合は助手の目がそれを補えますし、ある程度の経験者であれば著名な先生が行った手術のビデオなどを見てそれを思い描くような感覚があれば自分で修正が可能となります。自分が手術しているのを、さらに自分の背後から見えているような視野感覚は、自らその状況下で適切にコントロールし、ひいては手術の質を上げるものでありますので、目指すべき大切なものです。

能を大成した世阿弥もその伝書の中で、『目前心後』ということを指摘していたと思います。
文字通り『目を前に見て、心を後ろに置け』ということですが、何事にでも心を後ろに置いて自分を俯瞰するということは極めて大切なことだと思います。


おわりに


私が楽心館での稽古を通じ石川先生から戴いた言葉の中に、日頃から仕事において自分に戒め、後輩たちに指導している言葉と同じ言葉がよく出てきます。

楽心館に入門するまでは武道に通じていた訳ではなかったのではじめのうちは次々出てくる言葉に非常に驚きました。

改めてその意味を考え直し、深く捉え直して今一度自らへの戒めとし、後進の指導に生かす機会を日々与えられております。

考えてみれば、人間が行うことはすべて宇宙の共通の法則に則っているということに尽きるのでしょう。
すなわち合気道も手術も魔法ではないということの証でしょうか。共通原理に基づいているとはいえ、手術が出来ても合気道が出来るということにはなりません。

仕事に関しては、先輩たちの指導によりここまで手術が出来るようになるのに二十数年掛かりました。

勿論まだ修行の身です。

ですからその経験からすれば合気道もこれから何十年?掛かるのか、ちょっとこの世にいるうちにはどうかなと思ってしまいます。
しかし、稽古で汗をかいている時の心楽しく爽快な気分がたまらないため、毎回やや強引に時間をやりくりして極力休まず通ってしまうのも偽らざる本心です。

今回は合気道と外科手術などと誠に勝手に大それたことを申し上げました。

合気道のことや石川先生の言葉の解釈などは間違っている点も多々あろうかと存じます。

今後の稽古の中でご指摘ご指導頂き、必要あらば補筆させて頂ければ幸甚です。石川先生ならびに楽心館の皆様には今後ともご指導のほどお願いする次第であります。(文責S)




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